2024年6月28日(金)の「にっぽん百低山」は「普賢岳・長崎」でした。
以下、まとめと感想と少しネタバレです。
雲仙地獄から撮影スタートです。
雲仙岳とは20以上の山々の総称ということでした。
その中心にある平成新山は約30年前の大噴火でできたばかりです。
普賢岳は平成新山が生まれるまでは最も高い山でした。
普賢岳といえばあの大噴火を思い出しますが、今日は類さんがあの山へ
連れて行ってくれるんですね。
撮影時期:4月下旬
今回登る山:普賢岳(標高1359メートル)
今回のゲスト:宮﨑花蓮さん(俳優)
今回のルート:普賢神社~鳩穴分かれ~立岩の峰~山頂
温泉神社で待ち合わせ
とても古くて歴史を感じる神社です。
かつての雲仙の信仰を今に伝える場所ということでした。
かつて九州は4つの国からなり、雲仙岳の神はその4つの国を守る守り神、
四面宮と呼ばれていました。
しかし九州にはほかにも高い山はあり、どうして雲仙岳が守り神だったのでしょう。
普賢神社が新しい理由とは?
登山のスタート場所に建つ普賢神社は元々山頂にあったが平成の噴火で
火山灰に埋もれ、この場所に建て直されたそうです。
そのそばの石の鳥居をくぐって登山スタートです。
すると下りになりました。
これは一旦カルデラまで下りるため下り道になるそうです。
火山ならではの登山ですね。
カルデラの底は野鳥スポット
山道は石で階段状になっているため歩きやすそうです。
この日は新緑がとてもきれいにみえます。
そしてすごい数の鳥が鳴いているのが聞こえました。
二人はなんとか鳥を見つけようと上を見上げます。
ちょっと時間はかかったようですが、ヤマガラを見つけることができました。
岩がそのまま置かれたような登山道
そのうちとうとう登りが始まりましたが、石段ではなく自然の岩を利用したような
感じでした。
しかし岩は苔むしていて歴史を感じます。
眺望が開けてくると外輪山の様子がよくわかりました。
その後は登山道か何なのか類さんぐらいの人じゃないと迷ってしまいそうです。
岩がゴロゴロしていて、そこを踏みしめて登っていきます。
しかも細いです。
有明海ができた理由とは?
およそ50万年前、阿蘇山と雲仙岳が噴火をしました。
雲仙岳の噴火により島原半島が隆起して有明海がせき止められました。
そこに阿蘇山から流れ込む火山灰により大きな干潟が生まれたそうです。
雲仙岳があったから有明海ができ日本一の干潟ができたんですね。
山岳信仰の痕跡がないのはナゼ?
中国から日本に渡ってくる船が一番初めに見る山が雲仙だったため
『日本山』と呼ばれたそうです。
飛鳥時代に仏教がいち早く入ってきて高野山、比叡山と並ぶ山岳信仰の山
となりました。
しかし今の雲仙にはその痕跡が見当たりません。
戦国時代、この地を収めたのはキリシタン大名の有馬晴信でした。
キリスト教の信仰を促進するためには仏教の建物は都合が悪いということで
雲仙にあった寺院や仏像は破壊されてしまいました。
だから類さんたちがここまで登ってきても本当に何もない道になっていたわけです。
山頂の景色で九州の守り神になった理由が分かる
岩を利用した山道はものすごい急登で斜度30度だそうです。
しかも細い!
ひとつひとつの岩の上を踏んでいくので、本当に大変です。
しかもこの日はとてもいい天気で暑そうです。
こんな感じの道が20分続き、開けた場所に出ました。
目の前に平成新山がどーんと見えます。
30年前の噴火で流れ出た溶岩が固まった溶岩ドーム。
岩ばかりで木は生えてないので、一目で普賢岳との違いが分かります。
山頂は大パノラマで福岡、佐賀、大村湾、天草、この日は桜島まで見えました。
九州全体が見渡せるということは反対側からも見えるということで
九州総鎮守の山となったということでした。
なるほど、確かによく見えました!
下山の後のお楽しみ:ほうじゅう
雲仙の水で作った日本酒で乾杯し、島原の郷土料理、がんばのがねだきを頂きます。
がんばとは島原の方言でふぐ、有明海でとれた新鮮なトラフグをにんにくの葉やしょうゆで煮込んだ料理です。歯ごたえがあるということでした、おいしそうです。宮﨑さんは懐かしい味と言っていました。
宮﨑さんはお酒が強いんですね、まったく顔色が変わっていませんでした。
類さんの一句 息を吐く 半裸の山や 日の盛 吉田類
★★★★★★★★★★★★★★
今回はあの大噴火の記憶が生々しい普賢岳でしたが、今の様子が見られて
すごく勉強になりました。
でもあの平成新山の形を見ると、やっぱりあの大噴火を思い出します。
でも普賢岳の歴史のある登山道を見ると、ずっと変わらない、あの大噴火があっても
変わらないものがあるんだなと感心しました。
にっぽん百低山 毎週金曜午後5時半~ NHK-BS
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