ブラタモリ 大名屋敷 東京

ブラタモリ 大名屋敷 東京 テレビ

今回の「ブラタモリ」は前回に引き続き「大名屋敷と東京 大名屋敷は東京に何を残したか」ということをテーマに二階建てバスに乗って東京を散策していました。
以下感想とネタバレです。


今回のタモテバコに入っていたお題は「大名屋敷は東京に何を残したか」でした。
まず前回も見ましたが、紀尾井町のホテルオークラからスタートです。
この場所は江戸時代は井伊家所有で明治時代になると伏見宮という皇族が住み、戦後大谷米太郎さんが買い取ったという場所でした。
タモリさんは江戸時代から明治に変わり、京都にいた皇族が江戸に出てくる、大名屋敷は「日本最大の居抜き物件」と言っていました。
まあ江戸城はもともと将軍が住んでいた場所で、そこに天皇が住むっていうのはよく考えたらすごいことですよね。
ここからはバスでめぐることになりました。
案内人は前回に引き続き江戸都市史研究家の後藤宏樹さんでした。
次に来た霞が関は江戸時代にはここから海が見える名所として浮世絵に登場する場所でした。
坂の下から霞が関を描いた浮世絵では大名屋敷が描かれており、それは広島藩浅野家と 福岡藩黒田家の大名屋敷で、明治時代外務省は黒田家の大名屋敷をそのまま使っていました。現在でも外務省の外周には当時の石垣が残っています。
次に訪れた霞が関ビルは日本初の高層ビルでタモリさんは最初に見たときにびっくりしたそうです。
この建物は昭和40年代で、もとは宮崎の延岡藩内藤家の大名屋敷だったそうです。
次に来た内堀通りの皇居外苑老中や若年寄の役屋敷で、役が変わると引っ越しが会ったので、頻繁に屋敷の主が変わっていました。
次に東京駅に来ました。
以前桑子アナの時にも訪れた丸の内ですが、ここの土地割りは大名屋敷の区割りがそのまま生かされているそうです。
銀座の歌舞伎座ももとは大名屋敷だったそうですが、どこのとは紹介がありませんでした。
そのあと訪れた築地は江戸時代に埋め立てられた土地で大名の蔵屋敷として使われました。
ここを埋め立てた理由として
火事とけんかは江戸の華
と言われるほど多かった火事が影響しています。
1657年の明暦の大火により江戸のほとんどが焼けてしまいました。
その後江戸の町を広げる復興計画により江戸の町は大きくなったそうです。
また万が一に備えて大名屋敷が増加することになり、結果として江戸全体で1500軒もの大名屋敷があったそうです。
浜離宮恩賜庭園も江戸時代の埋立地で、最初は将軍家の別邸、明治に入り皇族が利用したあと公園になったそうです。
この場所は海の防衛拠点としての意味あいや、災害対策や幕府の都市計画の結果としてあるとのことでした。
次に訪れた虎ノ門には香川の丸亀藩京極家の大名屋敷がありその裏手にこんぴらさんがあったそうです。
これは香川にある金毘羅大権現の分身を江戸の大名屋敷に迎え奉る場所を作ったもので、江戸時代こんぴらが大ブームとなり、毎月10日に開放するとお賽銭やお札を売った収入を得るようになり、150両(1500万)もの売上があったそうです。
大名とはいえ資金繰りが大変だったので、こういうことをしたのだろうとタモリさんは言っていましたが、こんぴらさんの場合は多くが国元に送られたそうです。
国を想う気持ちはいつの世も変わらないということでしょうかと、ナレーションの草彅剛くんが言っていました。
同様のものとして豊川稲荷があるそうで、岡崎の西大平藩のものだったそうです。
この西大平藩というのは聞きなれない藩ですが、大岡忠相という享保の改革を実行した江戸南町奉行だった人が、その功績により4000万石の加増を受け1万石の大名になったそうです。
江戸時代町奉行から大名になった唯一の人物だそうです。
この豊川稲荷の話をしているときに、野口葵衣アナウンサーがすごいくしゃみをしてトークが止まってしまいました。
花粉症だそうです、大変ですね。
そのあとに行った日比谷公園に通りかかるとタモリさんが打ち上げの話をしてくれました。
自分のやった打ち上げが評判になって日比谷野音で打ち上げだけやったことがあるそうです。
日比谷にも大名屋敷が多くあったのですが、もとは日比谷入江という場所でここを埋め立てて造ったそうです。
ここには外様大名が置かれ、上杉家毛利家が向かい合っていました。
しかし水はけがとても悪く住めたものではなかったそうです。
とくに長門萩藩の毛利秀就は幕府に粘り強く陳情した結果他に大名屋敷を持つ許可を得て作った場所が、高台にある赤坂の現東京ミッドタウンの場所でした。
タモリさんも「ここから帰りたくないでしょう」と言っていました。
後藤さんはこの別宅で週末をのんびり過ごしたり、他の大名との社交や交流の場としていたと教えてくれました。
この時代からワーク・ライフ・バランスを実践していたということです。
その理想の江戸ライフを過ごすために
他にも池田山公園(品川区)は岡山藩主池田家の屋敷跡で、肥後細川庭園(文京区)は熊本藩細川家の屋敷跡で、共に週末を過ごすために趣向を凝らしたものになっているそうです。
それが今でも東京に残っているのです。
次に登場したのがトゥクトゥクでした。
ドライバーさんも前と同じ方だそうです。
トゥクトゥクは前回途中でトラブルで停まってしまったので、タモリさんは心配していました。
そのトゥクトゥクで向かったのが、ミッドタウンの北側の細い道で、そこはタモリさんが大好きな南部坂がありました。
南部坂は忠臣蔵の名シーンで登場します。
雪の南部坂です。
大石内蔵助「私は帰ることになりました。」(討ち入りはしません)というと
主君の奥方が「お前の顔も見たくないわ。」(討ち入りしないなんて許せない)と返したといいます。
討ち入りの情報を漏らすわけには行かなかった大内内蔵助は奥様に手紙を書いて雪の南部坂を降りていく、そんなワンシーンでしたが、ちゃんと大河ドラマ「元禄繚乱」が流れました。
中村勘三郎さん、若かったですね!
後で手紙を読んだ奥方は泣いて自分の非礼を詫びたということでした。
案内人の後藤さんが南部坂はもう一つありますが、とタモリさんに水を向けると
「広尾にありますね」
「あ、そうか入れ替えになったからだ」
と言いました。
南部藩播州赤穂藩浅野内匠頭で有名な浅野家の屋敷と入れ替えがあり南部坂は2つあるそうです。
大名屋敷は途中から親戚が近くに住むようになったといい、
毛利家も例外ではなく、六本木ヒルズのある場所に長門府中藩毛利家東京ミッドタウンのある場所に長門萩藩毛利家といった具合だったそうです。
最後に六本木ヒルズの屋上から大名屋敷の痕跡を探すことになりました。
するとみどりのある場所はほぼ大名屋敷でした。
青山墓地は美濃郡上藩迎賓館は紀州藩新宿御苑は信州高遠藩の内藤家明治神宮は 彦根藩井伊家だそうです。
すごいですね。
今回のお題であった「大名屋敷は東京に何を残したか」を振り返ったタモリさんは、
癒しの空間を東京に残してくれたんだなと話していました。
 
次回は鉄道でブラタモリということで「日本の鉄道スペシャル」だそうです。
鉄道の知識がなくてもブラタモリだとすごく分かりやすいので勉強にもなるので楽しみです。

ブラタモリ 毎週土曜夜7時半~ NHK総合

見逃した方はU-NEXTでどうぞ。
今なら31日間無料体験。


U-NEXT

タイトルとURLをコピーしました