2023年5月13日(土)の「ブラタモリ」は「京都・東寺~東寺は京都のシンボル!?」でした。
以下、まとめと感想と少しネタバレです。
今回はまた朝早そうですね。
今回の舞台となる東寺には25件、81点の国宝があり、世界遺産にも登録されています。そんなにあるとは知りませんでした。冒頭で案内人の南さんが「よくサスペンスで使われる絵」で東寺の五重塔と新幹線の写った写真を見せてくれましたが、確かにサスペンスでは東寺の五重塔が出てきます。この謎も解いてくれるんでしょうか・・・
今回のタモテバコ:東寺は京都のシンボル!?
今回の案内人
京都市埋蔵文化財研究所 南孝雄さん
京都女子大学教授 鶴岡典慶さん
京都市文化財保護課 鈴木久史さん
今回のルート
①東寺入口
➁東寺金堂
➂東寺講堂
④東寺五重塔
⑤西寺児童公園(西寺があった付近)
⑥西寺跡から西に350メートルの場所
⑦東寺の南大門
⑧羅城門跡
⑨東寺から北東に1キロの場所
東寺がどんな場所か
・東寺は796年創建(平安京が創建された794年の2年後)
・平安時代に真言宗を開いた弘法大師空海が深く関係
・講堂にある仏像(立体曼荼羅)は空海の構想をもとに作られたもの(21体のうち15体が平安時代のもので国宝)
→1200年の間東寺がこの場所に残り続けた理由として空海が大きな存在となる
五重塔で分かる東寺が担った役割とは?
・現在の塔は5代目、徳川家光の寄進によって再建されたもの
・約55メートルで日本で一番高い木造建築
・五重塔が敷地の端にあるのは外から見えやすいようにするため
・平安京から伸びる朱雀大路の東側にあった
・朱雀大路の東側に東寺、西側に西寺があった →今は西寺はない
西寺の痕跡を辿る
西寺があった場所にある西寺児童公園内にある史蹟西寺址
史蹟西寺址 1921年 日本で初めて指定された史蹟のひとつ
・寺の建物の配置も東寺と左右対称、塔も東寺と反対側に建っていた
・平安京の玄関口、羅城門から見ると東寺と西寺の五重塔は朝廷の権威をみせるためだった→都の入り口のシンボル
しかし西寺は火事で焼失し、その後再建されなかった→その理由とは?
西寺はなぜ再建されなかったのか?
・鴨川の扇状地であった平安京の東側は標高が高く安定していた
・桂川は北にある亀岡盆地の先で土砂が堰き止められるので、平安京のあたりで扇状地を作らず標高が低く不安定な場所
・西寺のある場所は平地で桂川が氾濫すると水浸しになってしまう
・水害があり住みにくい平安京の西側が廃れる
・平安時代の中期以降は朝廷の財政も厳しく、焼けた西寺を再建することはなかった
都の中心が東側に寄ったことで東寺は京都のシンボルとして存在感を高めた
都を目指す人の目印となった東寺
東寺の前は元は九条大路と呼ばれる真っすぐな道だが、現在は少し曲がっている
→西国街道につながったため
東寺の前を通る西国街道を通り、大宮通りから京都に入るルートが確立したため
東寺の五重塔は都の入り口を象徴する役割を果たしていた
御土居でも都の入り口の役割を果たす
御土居 1591年 豊臣秀吉が京都を囲むようにして作った土塁と堀
都の範囲を明確に区切った(洛中と洛外)
羅城門は堀の中となり、その痕跡はなくなってしまう
→江戸時代、東寺の南大門が羅城門と呼ばれていた(都の入り口は羅城門)
鉄道が通り東寺は今も京都のシンボルに
明治時代、京都駅が東寺のそばにできた→新幹線からも東寺の五重塔が見える
➡今も京都の玄関口のシンボルであり続ける存在となる
タモリさんの衣装
・グレーと白のマフラー
・くすみブルーのコート
・白パンツ
・黒の手袋
・濃いブルーのスニーカー
タモリさんのランチ:ランチの写真はありませんでした。
★★★★★★★★★
東寺の話から羅城門の話まで興味深いことだらけでした。
東寺はまさしく生き残ったという感じなんですね。
最後に訪れていた京都駅が見えるレストランでランチを食べたんでしょうか?
ブラタモリ 毎週土曜夜7時30分~ NHK総合
見逃した方はU-NEXTでどうぞ。今なら31日間無料体験。