2023年7月15日(土)の「ブラタモリ」は「埼玉・行田~埼玉はじまりの地 行田ってどんな所?~」でした。
以下、まとめと感想と少しネタバレです。
今回のタモテバコ:埼玉はじまりの地 行田ってどんな所?
今回の案内人
・行田市教育委員会 中島洋一さん
・地質学者 高橋雅紀さん ※世界の絶景に登場
・行田市郷土博物館 館長 鈴木紀三雄さん
今回のルート
①前玉神社
➁埼玉古墳群
➂酒巻古墳群
④忍城
⑤行田と忍の住所の境目の場所
行田ってどんな所?
・行田市埼玉地区→埼玉『さいたま』の由来となった地
・奈良時代、埼玉郡という郡の呼び名があった
・埼玉古墳群(9基の古墳が点在する)
国宝に指定された鉄剣が出土(中央と深いかかわりがあることが文字に刻まれている)
・利根川と荒川に挟まれた場所
→行田は水上交通や物流の要衝になる場所
・酒巻古墳群(6世紀初頭から7世紀前半にできた、地下から23基の古墳が発見)
→土砂に埋まったのは古墳が川沿いにあり土砂が堆積したため
関東造盆地運動
約12万年前、関東平野一帯は海の底だったが隆起して陸地となるが、周囲の方が隆起のスピードが早く、周りが高く真ん中がへこんだ洗面器状の地形となる
周りの山からの川の土砂が堆積しやすい
→関東造盆地運動により関東平野ができ、そこに行田があった
行田が誇る難攻不落の忍城
・城の周りに水(堀)を張り巡らせて守りを固めた
・堀の外には田んぼが広がり、米の生産も盛んだった
・小田原合戦(北条氏VS豊臣氏)で北条側についた
・石田三成から水攻めを受ける(自然の地形を利用して全長14キロの巨大な石田堤を築く)
→権力を誇示するため秀吉が水攻めにこだわった
・関東の北条氏の支城で最後まで落城せずに残った
→天下に名を馳せる城となった
なぜ行田市になったのか?
・江戸時代は忍藩があった →忍市ではないのは?
・江戸時代、行田は町人の町、忍は武士の町
・行田町には江戸、八王子、日光へ向かう道が通る交通の要衝で宿場町だった
→旅の途中で足袋を履き替えるため足袋が売れた
・明治以降は馬の世話をした庭に足袋の工場ができ、最盛期には全国の7割を占めるまでになった
→『忍市』ではなく『行田市』となった
タモリさんの衣装
・ベージュのトレンチコート
・ピンクのジャケット
・茶系のチェックのシャツ
・ベージュのチノパン
・茶色の革のスニーカー
今回のランチ:お蕎麦でした、古民家風のお店でしょうか?
★★★★★★★★★★★★
最後、『行田市』となった理由が意外と直球で面白かったです。
タモリさん、『のぼうの城』は見てらっしゃらないんですね。でも実は自分もあれはかなりフィクションかと思っていましたが、本当に落ちなかったんだとちょっと感動しました。
タモリさんの言う通り、行田市の場所はかなり興味深いところにあるんだなと思いました。
今回は強風ということで、いつもロケが大変そうだなと思いました。
ブラタモリ 毎週土曜夜7時半~ NHK総合
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