2023年11月18日(土)の「ブラタモリ」は
「東京・目白~目白ブランドの正体とは?~」でした。
以下、まとめと感想と少しネタバレです。
今回のタモテバコ:目白ブランドの正体とは?
今回の案内人
・江戸都市研究家 後藤 宏樹さん(『大名屋敷と東京』の回に登場)
・学習院アーカイブス 桑尾光太郎さん
今回のルート
①JR目白駅前
➁高田一丁目
➂目白不動尊
④目白坂
⑤大滝橋
⑥椿山荘
⑦学習院
⑧新宿区下落合
そもそも目白のエリアとは?
<目白という名のつく土地は2か所ある>
・豊島区目白
・文京区目白台
一方で・・・
目白とつくマンションやアパートのエリアはその2か所を囲んだもう少し広いエリア
➡番組では広いエリアのほうを『目白エリア』と呼ぶ
だいたい僕もイメージここ(広いエリアの方)ですね。 タモリさん
目白の地名の由来「目白不動尊」とは
目白不動尊
・江戸五色不動のひとつ
(目白不動、目黒不動、目青不動、目赤不動、目黄不動)
・三代将軍徳川家光が天下泰平を祈願して五色不動を定めた
・目白不動尊金乗院のご本尊(目白不動明王像)は新長谷寺(目白坂)から移ってきた
・新長谷寺は太平洋戦争で焼けてしまい、残ったご本尊や石像を金乗院にうつした
・当時の新長谷寺は早稲田まで見通せる目白坂沿いの高台にあり名勝地だった
・崖の下には滝があった(通称:大洗堰)
神田上水の堰(神田川をせき止め、神田上水に引き込んだ)
➡江戸時代の人気スポット<目白不動と滝のセット>から目白ブランドは始まった
目白エリアの『地形』
・目白エリアの南側に目白崖線
➡高台の上にある目白不動(新長谷寺)と崖の下にある大洗堰という景観を生み出した
その景観に大名屋敷が集まる
・目白通りの西側に大名屋敷が連なった
・崖の斜面に美しい庭園と湧き水で池を造る
明治時代になると黒田家下屋敷跡(現椿山荘)は山縣有朋の邸宅に
・現在の椿山荘の庭園の原形ができる
・政財界の重鎮が集まる場所になる(田中角栄も居を構える)
➡美しい庭園と政治の舞台として目白ブランドが高まる
(神田)川ひとつで全然違う・・・
絶対こっち(目白)の歌(南こうせつの『神田川』)じゃない タモリさん
目白エリア真ん中あたりにある学習院
学習院の由来
・京都御所の横に公家の教育機関としてできたのがはじまり
・明治時代、当時の貴族階級・華族のための学校が東京につくられ
「学習院」の名を引き継ぐ
・生徒数500人程度で全寮制だった
(現在でも皇族が使った寮が残されている)
学習院が目白にある理由
・最初は四谷にあったが地震の被害を受け移転することに
・当時は国のために働く人材を厳しく教育する目的があった
(皇族、家族は軍の中枢にいることが多かった)
・繁華街から遠ざけるため富士山のふもとや小田原も候補にあがる
・当時この地は東側(大名屋敷が立ち並ぶエリア)と違いひなびた場所だったため
目白に移転
➡目白ブランド(エリア)が広がった
目白の最西エリアに何があった?
・学習院の院長を務めた近衛篤麿の広大な邸宅があった(学習院の西側)
近衛家 平安時代の藤原家直系の一族
千年に渡り天皇家を支える
➡大正時代になると高額で分譲され高級住宅街の先駆けとなる
・学習院の昭和寮があった(現日立目白クラブ)
当時最先端のスペイン風の建築様式が採用されている
目白はその景観から人気となり、大名や政治家が住む場所となり、
皇族と関わりが深い学習院が移ったこともあり『目白ブランド』が形成された
タモリさんの衣装
・赤にブルーが入ったチェックのボタンダウンのシャツ
・紺色のパンツ
・茶色のベルト
タモリさんのランチ:ランチの写真はありませんでした。
★★★★★★★★★★★★
目白がこんなに歴史ある場所だとは知りませんでした。
椿山荘の庭園は明治時代に山縣有朋によってその原形が作り上げられていたとは
驚きです。
今回も勉強になりました。
ブラタモリ 毎週土曜夜7時半~ NHK総合
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