新プロジェクトX EV

新プロジェクトX EV テレビ

2024年5月18日(土)の新プロジェクトX
友とつないだ自動車革命~世界初!5人乗り量産EV~でした。
以下、まとめと感想と少しネタバレです。

ヨーロッパや中国では新車の2割近くがEV車(電気自動車)が
占めるようになった。
その先駆者となったのが日産リーフ
世界で初めて人乗り電気自動車として量産化に成功した。
開発したのは日陰部署だった技術者たちだった。

EV開発スタート時の世界の状況
・1991年空前の好景気に沸く日本で業界第2位の日産
・アメリカで排気ガスを出さない車を一定数販売しないと巨額の罰金を課す方針が出る

日産にEV開発部が誕生

50名の技術車両開発室(EV開発部)が作られた

門田さん 主力車の開発部から移動
     アメリカで少し売るための車であり左遷だと感じる
宮本さん 電池開発チーム
    (EV事業部は)不採算事業であると感じる
枚田さん 電池開発チーム
     入社4年目で自ら希望して移動
     自分たちで作り上げなければならないと意気込む

9年かけて電池のモーターやパワーを進化させた

日産を襲う激震
2.9兆円の負債を抱え経営破綻の危機に陥いる
・ルノーから派遣されたカルロス・ゴーンは採算性のない事業を解体していった
・EV開発部は解体され、メンバーはバラバラに

電池開発チームのその後
・宮本さんと枚田さんは研究を止めなかった
・電子設計部やエンジン設計部など毎年部署を転々とさせられた
・2人が目を付けたのはリチウムイオン電池(日本で発明、小型ながら大容量の電池)
熱や衝撃で発火しやすい弱点がありトヨタのプリウスでは採用していない

もし安全性が確保できれば 自動車革命が起きる 宮本さん

EV開発の転機
・ゴーン就任後日産は初めての減収となりEV車を目玉として開発することに
・EVを量産し、グローバルに展開する目標を掲げる、開発期間はに設定
2007年新EVプロジェクトが発足

<EV車の目標>
・車のサイズは最も競争が激しい5人乗りファミリータイプ
・1回の充電で160キロ以上走破


困難を極める電池開発
・2008年春工場脇のプレハブ小屋で開発スタート
・高い安全性と長い航続距離という高いハードル
・セル(色紙大の電池)を開発、セルを192個つなぎ鋼のパックに収納する計画
・電池は材料の配合、作る過程の条件で性能が大きく変わる

電池開発の工程で電池が燃える事故が頻発、消防隊が出ることに
生産ラインを作るリーダー岸田さんと意見が対立する
電池パック担当の平井さんも頭を抱える


生産技術リーダー 岸田さん
・28歳で中途入社
・日本、アメリカ、中国の生産技術(生産ライン)で腕を磨く
・独断で生産工程表を作ったが電池開発チームの意見は反映されていなかった

電池開発パック担当 平井さん
・開発トップの枚田さんと生産トップの岸田さんが毎日にらみ合う間に立つことに

電池開発が完成せぬまま発売まで残り年半となる

年後の発売を前に人が結束する
・2009年電気自動車リーフを公表、発売は1年後の冬と記者会見で発表
・この時電池は材料も工程も決まっていなかった

今後はこの3人ですべてのことを決定しよう 
(役員会で)責任はとる 自分たちにまかせてくれ 

                           電池開発リーダー 枚田さん

・3人の判が並んだ工程表を『血判状』と呼んだ
・部下が帰ったあと3人で毎日会議を開いた『8時だヨ!全員集合会議』

コミュニケーションの数が人の信頼度をどんどんあげてくることだと思う 
                           電池開発リーダー 枚田さん

買った人が絶対に不幸になること(事故が起こること)がないように
したかった                  電池パック担当 平井さん

電池の寿命が最大の難関
・10年持つ電池が目標だったが1年で消耗してしまう
・枚田さんのかつての上司である宮本さんがパナソニックで電池技術者の

新田さんを連れてきた
・電極シートの反応ムラが消耗の原因だと突き止める

(電解液が均一に浸透していない)

あのうどん棒は関係ないでしょうか 
                  NECから出向していた電池技術者の雨宮さん

→NECは小型電池のしわを人の手で棒を使って伸ばす工程があった

・実際に電池を伸ばしてみると電極シートの間に残っていた泡が出てきた
(シートが伸ばされ電解液が均等に染み込んだため)
→電池の寿命は劇的に上がった
・岸田さんは14台の電池のしわ伸ばし機を2週間で作り工程に入れた
・発売2か月前に量産が開始された

2010年12月 電気自動車リーフ 発売開始
翌年に日本や世界のカー・オブ・ザ・イヤーを総なめにした


その後の日産と人とは
・現在販売数70万台に迫っても電池の発火事故はゼロ
・日産はその後電池の開発部門だけを残し、生産工場を他社に譲渡した

枚田さんは日産に残り電池開発のトップとなった
平井さんは小型EV車の開発をするベンチャー企業を立ち上げた
岸田さんは中国へ渡り電池を生産する会社を始めた

3人は今でも時折顔を合わせ酒を飲みかわしながら交流をしている

★★★★★★★★★★★★★★
今の電気自動車のまさに先駆けとなったリーフ。

現場でのアップアップぶりを見ると、いかに困難なものだったかがよくわかります。
すごいの一言です。

しかし現状を見るとなんとも歯がゆい思いがありますね。
でもそれでも技術を生み出すことをあきらめてほしくないです。

新プロジェクトX 毎週土曜夜7時半~ NHK総合

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