ブラタモリ 対馬 後編

ブラタモリ 対馬 後編 テレビ

2022年10月22日(土)の「ブラタモリ」は「国境の島・対馬~日本史最前線!国境の島が果たした役割とは?」でした。
以下、まとめと感想と少しネタバレです。

今回は前回に引き続き対馬の後編です。
タモリさんの移動距離はいかほどでしょうか?

今回のタモテバコ
「日本史最前線!国境の島が果たした役割とは?」(前回から引き続き)

今回の案内人
対馬観光物産協会 西護さん
対馬市教育委員会 文化財課 村瀬達郎さん
対馬博物館 尾上博一さん

今回のルート
①佐須
厳原いずはら
➂対馬博物館

対馬に起こった大ピンチ①元寇(文永・弘安の役)が最初に対馬に襲来

元寇(文永・弘安の役)
鎌倉時代、モンゴル・高麗連合軍が2度に渡り日本を襲った事件(対馬・壱岐・博多)

450艘、3万の兵で小茂田浜(佐須浦)に攻めてきた←地頭の宗資国そうすけくにが戦う(当時60歳過ぎ)
陣を「ひじきだん」に構えた
→「ヒシキ」という山の緩やかなところを「ダン」という
「ひじきだん」は小高い山の上にあり、入江を一望できたと考えられる
入江が船で埋め尽くされた景色を宗資国は見たであろうと考えられる
→宗資国らはみな討ち死にしたが、子孫の宗氏はその後朝鮮との外交や交易で対馬を600年治める存在になった

対馬に起こった大ピンチ➁朝鮮出兵による朝鮮との国交断絶

朝鮮出兵
安土桃山時代、豊臣秀吉が明(中国)の征服をもくろみ2度に渡り日本の軍勢が朝鮮へ攻め込んだ戦い

朝鮮出兵を機に朝鮮との関係が悪化する
→朝鮮との交易ができなくなる
宗義智そうよしとしは国交回復を図るが朝鮮の条件は「国書を日本から先に送ること」=日本の非を認める事だが天下人徳川家康は自分がしたことではないと応じない。

宗氏による国書偽造
宗氏は自分たちで勝手に国書を作成
朝鮮からの返信である「奉復」=返信という言葉も「奉書」に偽造
対馬藩の家老が訴え出て幕府にバレるものの宗氏はお咎めなし
→朝鮮の信頼も厚く、幕府にとっても重要な存在であった
国交を回復し、交易が再開した

朝鮮通信使が対馬に度々来る
朝鮮通信使 江戸時代将軍の代かわりのお祝いなどで日本を訪れた使節
→江戸時代朝鮮通信使が12回訪れるが、必ず対馬の厳原の城下町に立ち寄る

厳原の町並みが果たした対馬の役割とは
厳原の見事な石づくりの町並み
・対馬はほとんどが堆積岩だが厳原あたりでは石英斑岩やデイサイト(マグマが冷え固まった岩石)の石がとれ、切り口が白いことから白い石塀だった
・朝鮮通信使に美しい町並みを見せることで祖国へ日本のいい評判を報告してほしい
厳原が日本の顔のような役目を果たしていた

今回は案内人の方やタモリさんたちの衣装はほぼ前回と同様で、内容としては前回と合わせて1.5回分ぐらいでした。
こう考えると対馬はあまりに朝鮮に近い場所なので、元寇では大変な被害が出たり、一方で交易で稼ぐ必要があったりと大変な場所だなと改めて思いました。
それは今でも変わっていないんだなという事を知りました。

【番外編】清水山城三の丸と直接やり取り?
厳原の清水山城三の丸から下にある金石城の場所とは大声でやり取りができました!
今日の案内人である村瀬さんが「おーい」と呼ぶとちゃんと聞こえるんです。
タモリさん「ありがとう!」
村瀬さん「どういたしまして!」
こんなやり取りがちゃんとできていました。

タモリさんの衣装(前回と同様ですね)
緑と赤系の大柄なチェックのシャツ
茶色のチノパン
茶系のベルト
黒系のストローハット
青系のシューズ

今回のランチ
残念ながら写真はありませんでした。

ブラタモリ 毎週土曜夜7時半~ NHK総合

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