ブラタモリ 富山

ブラタモリ 富山 テレビ

2021年12月4日(土)のブラタモリは富山でした。

今回もあまりいいお天気ではなくタモリさんたちは大変でしょうね。
でもタモリさんの着ていたキャメル色のコートは素敵でした。
毎回タモリさんの服装も楽しみに見ています。
この富山の回を見て、初めて富山城があることを知りました。
富山城には富山藩主が住んでいて、藩主は加賀藩の前田家の三代藩主であった前田利常の次男の利次であり、加賀藩から分家して富山藩ができたそうです。
当初は富山城の北側に神通川が流れており、その川幅は相当なものがあったそうです。
タモリさんが街を歩いて城の近くにあった常夜灯からもう片方の常夜灯を捜すとかなり遠くにありました。
その幅が当時の神通川の幅でそこに船を並べて作った船橋があったそうです。
なんと最大で64艘もの船が並び鉄鎖でつながれ敷板を引くという橋であったそうです。
この船橋は当時日本一と言われたそうです。
これはすごいですね。
神通川は暴れ川であって、しかもとても大きな橋で、当時の技術ではちゃんとした橋を架けることはできなかったそうです。
だから船橋ということなんでしょうが、それでもすごい規模でこれは見た人の度肝を抜いたんじゃないでしょうか。
その当時の常夜灯が今でもみられるのもすごいですね。
今は神通川は富山城のそばを通らず、もう少し西のほうを流れています。
今でもすごく大きな川です。
その神通川を埋め立てた跡地に富山駅ができたり、巨大な建造物ができたりしたそうです。
そのせいか富山城の周辺はかなりキレイな区画になっていて、富山の街をすっきりとした印象に見せていました。
他にも富山の薬売りの話もしていました。
富山で作られていた反魂丹という妙薬を富山藩の藩主が腹痛に悩む他の藩主に送ったところ腹痛が治り、これが評判になったことが最初のようです。
藩としても薬を作って売ることで藩外から収入が得られることで藩の財政も潤ったそうです。
置き薬文化は当初からのシステムで、これが戦後まで続いたというのには驚きです。
そういえば富山のイメージって薬でした。
ちょっと富山を旅行したくなりました。

ブラタモリ 毎週土曜夜7時半~ NHK総合

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