ブラタモリ 桜島

テレビ

2022年8月20日(土)の「ブラタモリ」は「桜島~世界有数の活火山に人はなぜ暮らす?~」でした。
以下、まとめと感想と少しネタバレです。

撮影は2022年6月だそうです。今回の噴火は7月24日に起きています。
いつもながらすごいタイミングに驚きますね。
この日はとてもお天気がよかったです。

今回のタモテバコ:世界有数の活火山に人はなぜ暮らす?
タモテバコが冒頭で出てこなかったので心配しました💦

今回の案内人
桜島ミュージアム理事長 福島大輔さん
かごしま探検の会代表理事 東川隆太郎さん ※「鹿児島」の回にも登場
京都大学防災研究所 火山活動研究センター長 井口正人さん

今回のルート
①桜島に向かうフェリー
➁湯乃平展望所
➂北西部にある集落
④北西部の別の集落
⑤北西部の別の集落
⑥南岳側の海岸線
⑦南岳の火口に最も近い地域
⑧南岳中腹にある京都大学防災研究所

桜島といえば温泉や桜島大根が有名ですが、現在でも3500人が住んでいるそうです。

「桜島ならでは」の暮らしとは?
・灰用のゴミ袋「克灰袋こくはいぶくろ」を置く場所がある
→家庭に降り積もった灰は各家庭で回収する
退避壕が島の周囲一キロに一か所を目安に32か所ある
→火山弾(溶岩の破片)から身を守るため
→火口から二キロ以内は立ち入り禁止(大きな噴石が降ってくることがある)

集落を歩いて暮らす理由を探る!
・桜島小みかん(世界一小さいみかん)が大事な産業
1603年関ケ原の戦いから3年後島津家と徳川家の仲介をしていた人物が内々に蜜柑を送った書状がのこされている
→蜜柑は貴重なものだった証

なぜみかん栽培が行われてきたのか?
噴火活動が終わった北岳側は風雨に晒され、なだらかな斜面がずっと広がった扇状地になった。
→みかん栽培に適した斜面
→水はけのいい土壌
→温暖な気候
島の北部はみかん栽培に適した場所なり産業として栄えた。
火山灰が降るようになったのは1955年以降で、それまでは火山灰に悩まされることはなかった。

桜島の墓から「ある事実」が分かる
桜島のお墓は火山灰対策で屋根付きだが、屋根のないお墓がある
→西南戦争(1877年)西郷隆盛率いる薩摩の軍勢と政府軍の戦いの時に亡くなった人のお墓
→桜島が日常的に噴火するようになったのは1955年以降

タモリさんも野口アナも驚いていました。ちょこちょこ噴火をしているイメージですが、戦後に始まったことなんですね!

桜島の火山活動
桜島には北岳と南岳があり、北岳は5000年前に噴火活動を終える。
その後南岳が噴火し、現在も活動している。

桜島の噴火の歴史
・天平字噴火(764年~766年)
・文明噴火(1471年~1476年)
・安永噴火(1779年~1782年)
・大正噴火(1914年~1915年)
・昭和噴火(1946年)
・現在の山頂噴火(1955年~)

→安永噴火や大正噴火などの溶岩は主に南岳から出ていて島の南側に流れている

南岳側の地域の恵みとは?
温泉(かつては島津家の保養所もあった)
→古くから湯治客が訪れる名所
迫力のある溶岩の景観
→安永噴火と大正噴火と昭和噴火の溶岩三か所が一度に見れる場所もある
・大正噴火で桜島と大隅半島が陸続きになった
→桜島の子どもが高校に通えるよう桜島フェリーができ、人とモノの移動がスムーズになった

大正大噴火 
20世紀以降国内で起きた最大の噴火。火山灰はカムチャツカ半島まで到達した

暮らしに欠かせない場所へ!
観測坑道を設置している火山観測の最前線
桜島には観測坑道が三か所ある
世界でも三か所に観測坑道があるのは桜島だけ
→マグマの活動が活発になると山体が膨らむ
→地面に固定したガラス棒で100万分の一ミリ単位で計測している
→爆発的噴火の90%の前兆現象をつかまえることが出来る

【番外編】タモリさんイルカと遭遇!
退避壕の説明の時に、海にイルカの群れを発見しました。
桜島にはエサが豊富にあるそうで、イルカが定住しているそうです。

今回は桜島が大規模噴火をする前に行っているので貴重な映像になりました。
今回の噴火は観測坑道でキャッチできたのか知りたいですね。
途中雨に降られていましたが、最後にはまたいい天気になっていました。
気温は暖かそうでタモリさんの動きも軽快でした。

今回のタモリさんの衣装
白地にピンクが入ったチェック柄のシャツ
ベージュのチノパン
ブルーと赤の色づかいのベルト
こげ茶の革靴

今回のランチ:残念ながら写真がありませんでした。

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