ブラタモリ 対馬 前編

テレビ

2022年10月15日(土)の「ブラタモリ」は「対馬~日本史最前線!国境の島が果たした役割とは?~」でした。
以下、まとめと感想と少しネタバレです。

タモリさん、対馬には穴子を食べるためだけに来たことがあるそうです。
なんか、さすがですね。
対馬は釜山まで最短で約50キロだそうです、近いですね!

対馬の95%ぐらいは堆積岩(泥や砂などが海や湖の底や地表に溜まってできた岩)ということで、山地も急で人が住めるのはほんのわずかです💦

今回のタモテバコ:日本史最前線!国境の島が果たした役割とは?

今回の案内人
対馬観光物産協会 西護さん
対馬市教育委員会 文化財課 村瀬達郎さん
対馬市教育委員会 文化財課 田中淳也さん

今回のルート
①韓国展望所
➁三根(集落)
浅茅あそう湾が一望できる展望台
④小船越(浅茅湾東側の港)
⑤浅茅湾(船で)
⑥金田城跡

魏志倭人伝:中国の歴史書で約1800年前の日本や日本人について記されている

対馬は中国にとって初めての外国であった=国境の島

魏志倭人伝に記された国境の島対馬とは?
三根は対馬国の中心的な集落があった場所ではないかと言われている
魏志倭人伝には
「山が険しく 森が深い。道は獣道のように細い。
家は千戸ほどある。水田は少なく 海産物を食べている。
南北(九州や朝鮮半島)に航行して交易を行っている。」

とあります。
・20年ほど前弥生時代の集落跡の遺跡が見つかった
・一万点以上の食器や鉄くず、朝鮮半島からきた土器が見つかる(製鉄を行っていた)
→対馬は昔はもっと内陸まで海がきていた(水田はほとんどない)
→対馬は交易をするしかなかった

国境の島が果たした役割の関係とは?
浅茅湾はリアス海岸と呼ばれる入り組んだ湾が連なる海岸で非情に穏やかな海。
小船越は外海と浅茅湾の距離は当時200メートルほど、荷物を運んで浅茅湾から唐に向かった。(安全で最短のルートと考えられた)
対馬は遣唐使の初期のルート(都~瀬戸内海~福岡大宰府~壱岐~対馬~唐)になっていたと言われている。

遣唐使:飛鳥時代から平安時代にかけて当時最先端の技術や文化を学ぶため派遣された使節

浅茅湾で風待ちをして唐や新羅に出向
当時は遣唐使や遣新羅使が浅茅湾にたくさん停泊しており、待避所となっていた
→波が静かな時を見計らって出航している
→万葉集にも船が多くある様子が歌われている
浅茅湾は遣唐使たちの不安を和らげて安全に朝鮮半島に渡らせる重要な役割を果たした

浅茅湾にそびえる石英斑岩の山の役割とは?
約1350年前、金田城は長さ約2.2キロ、高さ5.5メートルの石塁を半島に囲むように構築されている
→663年白村江の戦いで倭と百済の連合軍が唐・新羅連合軍に大敗し、防衛のため西日本各地に城が作られた。
白村江の戦いから4年後、金田城ができる
金田城には十数人程度の防人(国境防衛兵)が常駐していた
→城には食器や武器として使う石が残っている

外海に面した場所ではなく、浅茅湾の奥に金田城ができた理由
→堅固な地質(石英斑岩)を見極めて城が築かれた
壮大な金田城が物語る日本の防衛の最前線の島

今回はここまででした。次回の後編に続きました。
しかし今回は移動が大変そうで、特に最後の金田城は歩かなければならず、しかも傾斜もあるのですごく疲れたと思います。
対馬にこのような建物があることを知りませんでした。
なかなか行ける場所ではないので、ブラタモリをみて行った気になろうと思います。

タモリさんの衣装
ブルーと茶系の大柄チェックのシャツ
茶系のチノパン
茶系のベルト
青系のシューズ
黒系のストローハット

今回のランチ
穴子を食べていました!おいしそうですね!

ブラタモリ 毎週土曜夜7時半~ NHK総合

見逃した方はU-NEXTでどうぞ。
今なら31日間無料体験。


U-NEXT

タイトルとURLをコピーしました