2022年12月7日(水)の「歴史探偵」は「島津 強さのルーツに迫る」でした。
以下、まとめと感想と少しネタバレです。
今回は関ケ原の戦いで家康と渡り合った島津についてです。
島津義弘かっこいいですよね。
今回は島津の強さのルーツを探るため九州各地をめぐります。
鎌倉時代に源頼朝から鹿児島と宮崎の一部の守護を命じられたのが島津の始まりと言われているそうです。
島津は鎌倉時代から幕末までの700年間、鹿児島周辺を治めた家です。
島津の強さのカギ 鉄砲を使うための好条件がそろっていた
島津筒という独特の形を持つ鉄砲を使っていた
・種子島で砂鉄が取れたため、鉄砲を大量に作ることができた
・硫黄島で純度の高い硫黄が取れたので火薬づくりに適していた
・火薬づくりに必要な硝石は日本では産出しなかったが、南九州の坊津が貿易で栄えていたため手に入れる事ができた
➡他の大名が持っていない利権を持っていたのが島津の強み
島津の強さのカギ どのように鉄炮を運用したのか
鉄炮と城を組み合わせて守りを固めた
・帯曲輪と呼ばれる帯のように細長く伸びた平場で敵を迎え撃った
平地での戦い
・繰ヌキ(3人1組で行う、撃ち手がかわるがわる前進し鉄炮を放つ)で火縄銃の欠点を補う狙いがあった
→一発発射してから弾を込めるのに30秒ほどの時間を要したため
薩摩は火縄銃を攻勢にも使える制圧用の武器として使う
・農民が含まれる足軽ではなく、戦いのプロである武士に鉄炮を持たせた
・当時の武士の心得としては剣術だったが、火縄銃の鍛錬もさせていた
島津にはそれぞれ優れた4兄弟が揃っていた
・長男義久 総大将
・次男義弘 優れた軍事指揮官
・三男歳久 占領した領地を巧みにまとめる敏腕領主
・四男家久 勇猛な武将として数々の戦いで功績をあげる
島津家最大のピンチ!関ケ原の戦い
敗退した西軍にいた島津義弘は敵に向かって突撃し戦場から脱出した「島津の退き口」
→鉄砲隊が突破口となり、徳川軍の追撃をかわし時間稼ぎをした
大坂の商人が薩摩までの船を手配した→無事鹿児島に帰還
→堺の商人は島津の協力がないと商売ができず、島津も利益を得るためには堺の協力がないとできないという持ちつ持たれつの関係があった
西軍の武将に厳しい裁きが下るなか家康と交渉する
家康への手紙では恭順を示す一方で新たな城(鹿児島城)を築く
→高さ10メートル以上の土塁を山頂部分を取り囲み、難攻不落の城を作った
まだ天下を治めたとはいえない家康に対して戦うと損だと思わせた
明の船が海賊に襲われたので討伐したと家康に報告したが自作自演の可能性がある
→自分たちが東シナ海の安寧秩序を保っているとアピールした
関ケ原の戦いの2年後、本領安堵を勝ち取った
→海外貿易を続けた島津は幕末の雄藩として躍り出た
★★★★★★★★★★
戦国の世を生き抜いた島津のすごい生き様をみました。
特にお家最大のピンチだった関ケ原の戦いからの交渉は見事だったと思います。
それが幕末の力になったというのは歴史ってなんかすごいなと思いました。
歴史探偵 毎週水曜夜10時~ NHK総合
見逃した方はU-NEXTでどうぞ。今なら31日間無料体験。