2023年6月23日(金)の「北海道道 没後15年氷室冴子をリレーする」を見ました。
以下、まとめと感想と少しネタバレです。
氷室冴子さんが2008年に亡くなって没後15年になるそうです。
「なんて素敵にジャパネスク」「ざ・ちぇんじ」「なぎさボーイ」「多恵子ガール」・・・読みました!
色んな作品を同時に手掛けていて、ほとんど読んでいました。
でも途中からちっとも新刊が出なくなりました。それでも続編を待っていました、ずっと。
そんな氷室さんをそばで見ていた人や影響を受けた人からその半生を振り返ります。
第1章 少女たちは“冒険”する
大学卒業後就職できず、結婚を求める親と対立し自立して一人で生きるために筆をとる
目標は「女の子からみても納得できる女の子を書いてみたい」
執筆に没頭し、少女たちがルールや大人の常識に囚われず活躍する様を描いていく
<漫画家 萩尾望都>生前の氷室と交流があった
「小説のなかでは絶対に妥協しない。
自由に前向きに生きていいんだよ、とそういうメッセージじゃないかなと思います。」
<作家 町田そのこ>氷室の作品に人生を救われた
小学生のころいじめにあい、一緒に寄り添ってくれる同級生はいなかった中で、氷室の「クララ白書」を読んで、明日も頑張ろう、主人公も頑張ってるからと思って本を閉じていた
氷室の死をきっかけに子育てをしながらかつて夢に見た小説家の道を目指した
<漫画家 藤田和子>北海道時代からの友人
氷室冴子原作「ライジング!」の作画を担当
「(人間の感情を)ずーっと考えて泣いて考えてるんですよ。
その考える深さが(氷室さんの)ベースなのかな 本当に 書きたいんだと思いますよ
やっぱり 書きたい」
第2章 “呪い”のなかで
自立する女性が社会で直面する理不尽に氷室は直面する
氷室はエッセイに書き留めることで抗っていたという
氷室が女性で若く、読者も女性ということで侮る人がいた
母親がテレビ番組の占いコーナーに無断で自分の結婚のことを相談していた
この時くらい 自分の人生を惨めなものに思ったことはなかった
ヒムロサエコの名のもとに、みなさまのお茶の間に向けた画面で、
『三十五歳に仕事と才能に限界を悟り、そのとき結婚を考えるでしょう』などと、
わが身の行く末が語られていようとは! 「冴子の母娘草」
インタビューの冒頭でしばしば出てくる前置き
あなたもいい鉱脈を見つけたじゃないですか ああいう小説って、やっぱりアレでしょ。
処女じゃなきゃ書けないんでしょ 「ホンの幸せ」
こういう女の子だと 現実の世の中では ひどく生きにくいんだなあと 知ってしまったら最後、
書けなくなってしまったのだった 「ホンの幸せ」
<書評家 嵯峨景子>氷室について研究
男性が力を握る社会で認められずにもがく氷室の姿は現代にも通じるという
「(多くの男性は)読まないし関心もないから
(少女小説という)ジャンルがあることすら見落とされて
そこでの(氷室さんの)功績や作品が全然語られないまま来てしまっている
やっぱり男性の識者や評論家たちのほうが力がある」
2008年ふるさと北海道で好きだった藤の花が咲くころ51歳でがんで亡くなった
書きかけの原稿や創作ノートなどは自ら処分していた
家にあったごくわずかな遺品の中にはまっさらな原稿用紙が残されていた
第3章 手渡される氷室冴子
<作家 佐原ひかり>氷室冴子青春文学賞を受賞
誰にも支配されず、自由に生きよというメッセージは時代を超えて響く
「なんか ギクッとするくらい 奥の奥の本当のところまで全部書いてる」
未完の長編「銀の海 金の大地」に忘れられない一節がある
「いのちあるものは必ず死ぬ。だったら王として生き、王として死ね」
<俳優・作家 酒井若菜>番組のナレーションを担当
「たとえ自分で作り上げたキャラクターに対しても 土足で踏みいれることをしない作家さんなのかなという印象 かっこいいなと思えた 決めつけてないっていうのかな 主人公の気持ちを」
★★★★★★★★★★
氷室さんが作家として一番乗っていた時代に「処女だから書ける」や「仕事に才能と限界を感じる」などの言葉を投げかけられていたとは衝撃を受けました。
氷室さんが自分の原稿などをすべて処分していたことも、闘病中の様子なども伝わってこなかったのも、この人の凄さを物語っていると思います。
続編も納得がいってなかったから、出さなかったのだと思うし、氷室さんについては作品以上のものがないというのが作家としての覚悟なんだなと思いました。
今度エッセイも読んでみたいです。
北海道道 毎週金曜夜7時半~ NHK総合(北海道)