2024年10月19日(土)の「新プロジェクトX」は
「革命の自転車 つなげ、感動のバトン~電動アシスト自転車~」でした。
以下、まとめと感想と少しネタバレです。
日本が生んだ世界初の乗り物、電動アシスト自転車。
現在一般の自転車を上回る年間80万台が販売されている。
この自転車が生み出されるまで、99%無理と言われた逆風の中で戦った
開発者の戦いがあった。
HY戦争と呼ばれたヤマハとオートバイ
・80年代初めオートバイの市場で2社が熾烈な競争を繰り広げていた
・静岡県を発祥とする市場1位H(ホンダ)と市場2位Y(ヤマハ)
⇒ヤマハが過剰生産に陥りホンダに軍配が上がった
ヤマハが新たに立ち上げた事業開発室
・室内で漕ぐサイクルマシンからヒントを得て自転車をモーターがアシストして
地域をめぐる自転車の企画が出た
⇒ホンダがすでに似たようなものを作っていた
(ペダルをこぐとエンジンがかかる自転車、漕がなくてもエンジンだけで走るため
原動機付き自転車に区分され運転免許が必要となったため普及せず)
・風の強い日などに坂を登る助けになると判断しGOサインが出る
・1989年春、モーターが漕ぐ人をアシストしてくれる自転車の開発に着手
・軽自動車の電動パワーステアリングを流用した
(人の手でハンドルを回す、途中からモーターの力が合力しているため)
・1年で試作車が完成
・みんなの反応はとてもよかった
自分たちは稼いでないなという罪悪感みたいなものはやっぱりありましたね
そのうち何か一発当ててやろうというのはずっとありましたよ
事業開発部主任菅野さん
これはすごいことになるかもしれないなというのはありましたね
事業開発室長 藤田さん
・しかし発案者の菅野さんは道筋が立ったとプロジェクトから自ら外れた
電動アシスト自転車への道
・新しく主任に小山さんが就任した
勝てる ホンダの鼻を明かせる これはやらなあかん
事業開発部主任 小山さん
・(課題)アナログ制御だったのをデジタル制御へ変えること
⇒アナログ制御はスムーズだが強い力で漕ぐと暴走するおそれがあった
一方でデジタル制御にすると漕ぎだしのスムーズさがなくなる
・様々な条件で走りデータを集める必要がある
・茶畑の市道で何度も何度も走り様々なデータをとった
⇒社内では冷ややかな反応も多かった
ホンダを意識していないといえばうそになる でもいつの間にか
その感動に近いようなものを分かち合いたいという気持ちになってくる
事業開発部主任 小山さん
立ちはだかった法律上の問題
・道路交通法には『自転車は人の力により運転する』とある
・モーターがつけば原動機付き自転車となる
99%原付ですと言った覚えがあります
藤田さんには何度もこれは難しい99%無理だと言っていながら
全然引かなかった 諦めなかった 渉外担当課長 中村さん
・試乗してみて「これは」と中村さんも感じ、運輸省と警察庁に藤田さんとともに
働きかけ続けた
・1991年運輸省と警察庁合同試乗会が警察庁の施設で行われた
⇒「自転車の範疇ではある」という連絡が入る
バッテリーが邪魔で乗りにくい
・1992年女性社員による試乗で『乗りにくい』という感想
⇒バッテリーが大きく自転車に跨りにくい
・設計は決定済みだったが、室長の藤田さんは設計の変更を決め、
サドルの下に変更された
・オートバイ並みに高額になる自転車を様々な企業が参入し価格が下がり
届けたい人に届くよう特許は独占しないと決断
・自転車で圧倒的な量産ラインとノウハウを持つブリジストンに協力を仰ぐ
世のため人のためどうか力を貸してください 事業開発部本部長 長谷川さん
1993年ブリジストンの協力を得て
電動ハイブリット自転車『YAMAHA PAS』を発売
⇒3000台売れ、翌年の全国販売で予定の3倍の3万台販売し大ヒットとなった
その後のヤマハ
・発売から10年赤字続きだった
・電動アシスト車いすを製作(発案者は電動アシスト自転車の発案者の菅野さん)
・発売から31年、ヤマハは電動アシスト自転車の国内トップシェアでは
なくなったが、その技術は世界30か国に広がっている
★★★★★★★★★★★★★★
ヤマハの特許を独占しないという決断に驚きました。
だからいろんな企業がどんどん参入して今があるんですね。
電動アシスト自転車に乗ったらみんなが感動した、みんながそう思えたっていうのが
すごい商品だった証だと思います。
日本企業のモノづくりへの考え方をもっと世界の人に知ってほしいと思いました。
新プロジェクトX 毎週土曜夜7時半~ NHK総合
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