ファミリーヒストリー 草刈正雄

ファミリーヒストリー 草刈正雄 テレビ

2023年8月14日(月)のファミリーヒストリー
草刈正雄~初めて知る米兵の父 97歳伯母が語る真実とは~を見ました。
以下、まとめと感想と少しネタバレです。

今回は草刈正雄さん(70歳)のファミリーヒストリーです。
草刈さんは生まれた時から、母と二人でした。
亡くなった母親は多くを語らず、写真もなく、名前を聞いているぐらいでした。

父親に関する情報について
母方の親戚:誰も名前すら知らない
・草刈さんの聞いた情報:「父親の名前(スペルは不明)」

 「朝鮮戦争で戦死」「祖父が郵便局員」

調査は最初から難航
・所属の軍が分からない(空軍、海軍、陸軍)
・スペルが分からない
・初動捜査に活用したのは『アーカイブスドットコム』

(法的に閲覧可能な公的機関の個人情報を集約)

(3か月経ってもめぼしい成果がでない)
・名字を「トーラ」から「トーラー」まで対象を広げた
・草刈さんの過去のインタビュー記事から
「出身がノースカロライナ」と判明
→該当者にメールや手紙を出し続けた
→その中の一人から連絡があった
→遺伝子検査で草刈さんといとこと判明


ようやく判明した父親の情報
・顔は草刈さんに似たハンサム
・祖父は難病に侵され他界、家計を助けるため18歳で空軍に入隊
・日本の築城空軍基地(福岡県)で郵便隊に所属、朝鮮戦争に派遣

初めて父親の顔をみた草刈さん「似てますよね」


草刈さんの母の出身は福岡県行橋市
・母親の祖父が早くに亡くなる
・母親の両親が離婚したため、7歳で奉公に出る
・18歳で電車の車掌となる(当時女性の憧れの職業だった)


二人の出会いはロマンチック
・草刈さんが聞いた話
「一人しか渡れない橋で鉢合わせして、道を譲り合った、そこで出会った」
・空軍のあった場所は母親の担当する電車の休憩ポイントだった
・出会ってまもなく同棲を始め、彼が羽田の任務になるとついて行った
→草刈さんが聞いた話
「アメリカに行くつもりだったらしい」


その後の母親の人生
・お腹が大きい状態で地元に戻り、「行くところがない」と言い、

友人の家に出産まで滞在
家族にも内緒で草刈さんを出産
・渡米を意識し、父親の実家に連絡するも、

 父親の姉からの手紙ですべてを悟った(とされる)
・親戚に迷惑がかかるということで小倉で生活する
・両親だけは野菜やお金など援助していた

草刈さんの聞いた話
「相当苦しかったと思うんですね、何度か、僕を抱いて電車にってことがあったらしいですよ」
「ただ、赤ん坊の僕を見て、できなかったって言うようなことを聞きました」

その後の父親の人生
・幹部候補生になる学校に入り、学校の方針でアメリカに戻る
・私生活の規律の厳しい家だったため、誰にも日本での出来事を話さず、

 神経衰弱になる
・西ドイツに派遣され、草刈さんの母親から手紙がきたころには

 アメリカにはいなかった
・その後結婚し、ノースカロライナ州の墓地に妻と一緒に埋葬されている
・日本での出来事を話すことはなかった


草刈さんの人生
・母親は草刈さんの身だしなみに気を使い、他人に迷惑をかけるとすごく怒った
・差別的な言葉を投げかけられることがあった
・母親は自分が道を外れないように考えていたのではないか
・中学生の時は新聞配達、卒業後は昼間働きながら定時制高校に通う
・お金のため芸能の仕事を始める
・すぐ母親を東京に呼び寄せた
・母親はすでに他界

(草刈さんが)仕事で今日は(支度が格好良く)決まったぞと
思っていると
「あんたなんてかなわないわよ」
と言っていました。
僕にとっては父親を結構褒める人でしたから、

それはちょっとほっとしてましたけどね。

その後父親の伯母から手紙をもらい、会いに行く草刈さん。
複雑な気持ちがあり迷いましたが、手紙が沁みました、と静かに話していました。
その渡米の様子はまた別途放送されるそうです。
★★★★★★★★★★
草刈さんもアナウンサーさんも泣いていました。
草刈さんのお母さんの覚悟が凄いと思いました。
誰にも父親の名前も言わず、写真も焼いて、

息子にもほとんど何も話さない、悪口も言わない。
草刈さんも静かに状況を受け入れ、ちゃんと会いに出向いています。

本当に感動しました。

ファミリーヒストリー 金曜午後10時~(月1回) NHK総合

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