2023年9月日(土)の「ブラタモリ」は
「北海道・稚内~“最北の町”で暮らすとは?~」を見ました。
以下、まとめと感想と少しネタバレです。
「日本最北の地」で有名な稚内ですが、厳密には択捉島の北端が
日本最北の地だそうです。
稚内にある「日本最北端の碑」の位置づけは
「通常交通機関で行ける離島を除いた最北の地の碑」とのことでした。
今回のタモテバコ:“最北の町”で暮らすとは?
今回の案内人
・稚内市教育委員会(考古学) 斉藤譲一さん
・中川町エコミュージアムセンター(地質・古生物学) 疋田吉識さん
今回のルート
①宗谷岬
➁宗谷丘陵
➂宗谷運上屋跡
④JR稚内駅
⑤JR稚内駅から山に向かった場所にある神社
⑥稚内にある市場
“最北の町”稚内はどんな環境か
<一年中風が強い過酷な環境>
・宗谷丘陵には全国屈指の風力発電地帯がある
・稚内市民の電力すべてを賄える以上の発電量
・特に冬場の風が強く、平均気温は0度以下
・寒さと風の厳しさで高い木が育たない、農作物も育たない
<なぜ江戸時代幕府の命を受けた人が稚内に住んだのか>
・北方警備のため
南下政策をとるロシアに幕府は脅威を感じ台場(砲台)を作って警備を行っていた
松前藩、その後津軽藩、会津藩、秋田藩の人々が暮らした時期がある
・松前藩の交易拠点だった
清王朝の絹織物(蝦夷錦)もサハリン経由で入手することができた
運上屋を経由して外国製品を取引していた
運上屋 松前藩とアイヌの人たちとの交易拠点
アイヌの海産物を買ったり酒や刃物を売ったりしていた
松前藩は運上屋(交易拠点)を各地に建てた
➡稚内(東端)は外国の物が入る貴重な町だった
<現在は西端が中心>
・JR稚内駅は現在は単線だが、かつては6つも線路がある、
貨物列車が行き交う物流拠点だった
・かつての列車は港まで通じ、北防波堤ドームがある場所に『稚内桟橋駅』があった
・駅の横はすぐ港で船に乗り換え樺太への定期航路があった
(1905年日露戦争に勝利し、南樺太が日本の領土となる)
・日本の製紙業が樺太に進出した
・陸の国境を見る観光が大人気だった
➡稚内(西端)は大量輸送ができる物流拠点になった
<なぜ稚内の西端に港を作ったか>
・稚内(西端)の海岸沿いは岩礁が広がっている
・岩礁の先は深い海のため、岩礁を埋め立てるだけでいい港を作ることができた
・近くに頁岩(薄くはがれやすい性質をもつ)があり、
切り出しやすく風化してもある程度の大きさを保つため、埋め立て向きだった
・頁岩は稚内の西側のみに分布、
東側は砂岩で埋め立てると風化するため不向きだった
➡地質を見極めて西側に港と鉄道を引いた
<樺太航路が終わった後は漁業で栄える>
・終戦となり、樺太航路は終わりましたが、その後は漁業で栄える
・西の日本海、東のオホーツク海に漁場がある
・棒たら、昆布、ホタテの貝柱といった特産品がある(強い風でよく乾く)
➡風を町の資源としてとらえ生かしている
タモリさんの衣装
・白地にブルー系のチェックのシャツ
・紺色のチノパン
・グレーのスニーカー
今回のランチ:ラーメンでしょうか?
タモリさんがうにを食べました、
野口アナがほっけを頂きましたと話していたのでてっきりそれかと・・
★★★★★★★★★★
稚内がこんなに風が強いとは知りませんでした。
冬の景色をみて「北の国から」を思い出しました。
宗谷岬からサハリンまでの距離が近すぎて、今では怖いですね。
今かつての南樺太の国境がどうなっているのか、ちょっと知りたいです。
ブラタモリ 毎週土曜夜7時30分~ NHK総合
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