2024年2月16日(金)の「アナザーストーリーズ 運命の分岐点 選」の
「小澤征爾 悲願のタクト~北京に流れたブラームス」を見ました。
以下、まとめと感想と少しネタバレです。
小澤征爾さんの追悼で再放送してくれました。
小澤さんがすごく若くてびっくり、当時42歳で1978年の映像でした。
「生涯忘れられない」と語るコンサートの軌跡です。
1978年6月14日 北京 中央楽団を迎えての交響音楽会
<視点1>中国を変えたコンサート
元中央楽団 団員 趙氏
・現在はアメリカ、ロサンゼルス近郊の町に暮らす
・中央楽団でファーストバイオリンを担当
・リハーサルの最中、自分のパートがないときカメラで小澤を撮影した
・「俺の指揮に従え」という先生ではなく、自分たちに常に優しかった
・小澤の指導は体全体を使った身振り手振り、表情も豊かで
話も具体的でイメージしやすかった
中央楽団のこれまで
1956年 中央楽団設立
・中国初のオーケストラ
・文化大革命が起こり、西洋のクラシック音楽は弾圧された
・1976年に小澤が来中するも楽器も譜面も失われていた
・コンサートの曲は『ブラームス作曲 交響曲第2番 ニ長調』
・文革で楽譜が失われており、揃えられる楽譜が限られたためこの曲になった
・ブラームスの感情を必死に伝える小澤征爾となんでも吸収しようとする
楽団員の姿があった
文化大革命(1966年~1976年)
毛沢東、その妻江青ら4人組が主導した社会主義変革運動
権力闘争が起こり、ブルジョア的とみなされた文化や思想が抑圧された
中央楽団元コンサートマスター 楊氏
・逮捕され10年の刑に処された
・9年耐えた時文化大革命が終わった
・楽団に復帰した半年後、小澤征爾のコンサートがあった
・直接指導を受け、とても明るい表情を見せた
中央楽団は苦難の歴史を乗り越え、小澤とのコンサートに全力で挑んだ
<視点2>父に届けたコンサート
兄 小澤俊夫
小澤征爾のルーツ
・旧満州の生まれ、その後北京で過ごし5歳で帰国
・父は歯科医、五族協和のスローガンに惹かれた
・征爾の名は満州国建国を主導した板垣征四郎と石原莞爾からとった
父の想いをつなぐ
・父はやがて軍に疑問を抱くようになり、もっと中国人と手を取り合うべきと考える
・父は家族を先に日本に返し中国との関係改善のため尽くすもその2年後に帰国
・父は中国へ行きたいという夢を果たせぬまま1970年(享年71)で死去
・中国公演の際、譜面台には父の写真があった
小澤の中国への想い
・歓迎会で「お詫びの旅だと思ってる」と話す
・中国の方から「あれは日本の軍国主義がやったことであって、
日本の人民がやったことだと思っていない」との答えがあった
・東洋人ということの苦労があった
「あんた日本人なのにバッハがわかるのか」
「あんんた日本人のくせにベートーヴェン指揮できるのか」
自分は東洋人でありながら、西洋の音楽の勉強をして、
ひとには言うことのできない苦しいことがあった。
そんなとき、自分は中国で生まれたこともあって、中国の音楽家の皆さんは
どんなふうに音楽をしているのかといつも考えていた。
<視点3> 人生を変えたコンサート
指揮者 タン・ムハイ
・世界的指揮者でグラミー賞受賞
・コンサート当時は28歳の見習い指揮者
・幼いころから音楽の英才教育を受けてきた
・文革時は工場での重労働につかされる
・小澤のコンサートを聴いて、自分も世界に出ようと共産党に手紙を書いた
・小澤はドイツで再会したタンをアメリカの音楽祭に招待しレッスンをつけた
二胡奏者 ジャン氏
・コンサート翌日小澤の前で演奏を披露する
・小澤はその演奏に感動の涙を流した
・アメリカの音楽祭で共演し、世界に知らしめた
・現在は中央音楽学院の教授を務めている
音楽家の人生を変えるコンサートとなった
北京の音楽家たちとブラームスを演奏できた事は、
僕の人生の宝物のひとつです。
改めて音楽は素晴らしいなと思っています。 小澤征爾
★★★★★★★★★★
コンサートで汗だくでタクトを振る小澤さんと、一心不乱に演奏する
中央楽団の団員さん、リハーサル映像での団員さんの輝くような笑顔を見て、
本当に感動しました。
小澤さんのタクトと演奏がぴったりハマっていて、
すごいコンサートだったんだなと改めて思いました。
アナザーストーリーズ 運命の分岐点 金曜夜10時~ NHK総合
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