にっぽん百低山 城山・長崎

にっぽん百低山 城山・長崎 テレビ

2024年3月7日(木)のにっぽん百低山城山・長崎でした。
以下、まとめと感想と少しネタバレです。

撮影は1月中旬だそうです。
場所は長崎県対馬市
今回の放送時間は午後2時15分からです。
まだまだ変則的ですね。

今回登る山城山(じょうやま標高276メートル)
今回のゲスト:森カンナさん(俳優)
今回のルート:登山口~東南角石塁~三ノ城戸~二ノ城戸~一ノ城戸~山頂

森さんの御主人は長崎のチームのバスケットボール選手、馬場雄大選手ということで、長崎県には縁があったそうですが、対馬は初めてだそうです。


スタートはとても整備された登山道
両側に木が生い茂っていますが、きちんと整備された登山道を歩きます。
実はこの道は120年前の明治時代に巨岩をダイナマイトで壊して作った道です。
いつの間にか片側は岸壁になったころ、海が見えてきました。
山の深い場所まで浅茅湾あそうわんが入り込んでいるのです。


巨大な石塁が見えてきた
整備されているとはいえ、片側の岩壁は迫力があります。
そのうち見えた東南角石塁は本当に海のそばにあるように感じます。
これが金田城(667年築城)です。
白村江の戦いで、唐・新羅の連合軍で敗れたことがきっかけで城が築かれました。
金田城はその最前線でした。
この城は作られた時代のまま残っています。
登山道はその石塁に沿っています。


次々と現れる石塁
三ノ城戸には金田城の城門があったと考えられています。
このような城は朝鮮式山城と言われ、白村江の戦いで逃れてきた百済の人々によって

もたらされました。
金田城の大きさは山の頂上の城山を含めて周囲2.6キロ
とても広大な城でした。
投石用の石も残されていて、投石用はつるつるした丸い重みのある石でした。
それは東国から派遣されてきた防人の仕事でした。
防人は金田城に住み、自給自足をしながら敵の攻撃に備えました。
しかし最近の研究で防人の数は十数人だったのではないかと言われているそうです。


金田城は見せ城だった?
元寇の時に金田城を使った形跡がないそうです。
金田城は韓国から見える場所に築かれた見せ城だったのではないかと

言われているそうです。
山の尾根線に石塁がずらっと並べて、海上から見ると威圧する存在だったのでは

ないかと考えられています。

城壁より上は足元が悪い
城壁を超えて上に行くと木の根が張り巡らされた歩きにくい道になりました。
登山道かどうかも分からなくなりそうですが、辛うじてロープがかかっているので

それとわかります。
すると途中から丸太の階段が整備されていました。
でもかなり急登です。
登り切った時頂上だと思って「やったー」と言った類さんでしたが、違いました。
後ろを必死に着いていった森さんもがっかりです。


山頂手前にコンクリートに覆われた砲台跡
山頂付近だというのにコンクリート敷きの場所がありました。
そこには丸い砲台の跡が2つ残されていました。
幕末に対馬にロシア帝国の軍艦がやってきました。
対馬に上陸し浜辺に砲台や練兵場を設置し半年近く不法占拠しました。
幕府はイギリスに介入を頼むことでロシアを撤退させました。
明治に入りロシアの南下政策を警戒した政府が1901年砲台を設置しました。
登山道でダイナマイトを使ってまで整備した道は、砲台を運ぶためのものだったと

いうことです。

最後にまた上る・・・
森さん「最後にこのなんかドSな感じ」と表現するのがぴったりなぐらいの

上りでした。
足元は悪いし、道は細いし、片側は崖のような切り立った道でした。
類さんも珍しく「あれが頂上じゃなければ、頂上登ったことにして下山しましょう」と疲れた様子です。
山頂は岩が多い場所で、浅茅湾がキレイに見える絶景ポイントでした。
山頂は朝鮮半島のほうを向いていました。


下山の後のお楽しみ:居酒屋対玄
対馬の地酒で乾杯です。対馬名物のアナゴを刺身と炙りでいただきます。
アナゴの刺身は対馬ならではだそうです。歯ごたえがすごいあるそうです。
コリコリと噛んでいる音がしました。
二人とも初めて食べたようで感動していました。

類さんの一句 温石や ノスタルジーを 懐に 吉田類


★★★★★★★★★★★★
森さんがすごいサバサバした方で見ていて面白かったです。
金田城にはいくつもの歴史があってちょっとすごい場所だなと思いました。
山頂から見た浅茅湾は本当にきれいで、登山開始の時はちょっと天候は

どうかなと思いましたが、きれいに晴れてよかったです。

にっぽん百低山 毎週水曜昼0時20分~ NHK総合

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