2024年4月20日(土)の「新プロジェクトX」は
「約束の春~三陸鉄道 復旧への苦闘~」でした。
以下、まとめと感想と少しネタバレです。
今回は三陸鉄道のお話です。
三陸鉄道は岩手県の沿岸部を走る列車。
北リアス線、南リアス線があります。
東日本大震災の影響で全路線の9割が走れない状況になりました。
復旧まで6年かかると言われた工事を3年でやり遂げた人々の物語でした。
三陸鉄道のこれまで
・1984年三陸鉄道開業
・県と沿線の市町村で運営する日本初の第三セクター。
・『三鉄』の愛称で親しまれる
・開業から25年、沿線の過疎化が進み赤字になった
県庁職員から三鉄の社長へ
・2010年三陸鉄道社長に就任した望月さん
・2年後に定年だった
・経営の経験はなかった
・本社が停電し、車両に設けた対策本部で安否確認に追われた
被害が大きく先が見えない状態でも
三鉄はいつから走るんだって言われた
うちの息子が宮古の高校に通わなきゃいけないんだ
だから三陸鉄道が必要なんだとおっしゃった
(三陸鉄道の元社長の望月さん)
動かせるところから列車を動かそう
(三陸鉄道の元社長の望月さん)
・運行責任者の金野さんは危険すぎると猛反対した
今動かさなくて何が地域の鉄道だ
(三陸鉄道の元社長の望月さん)
・普段は穏やかな二人が怒鳴りあった
→震災から5日後2区間だけ再開した
復旧を信じ駅を掃除する住民たち
・復旧には6年かかると言われ過疎が進む現状では廃線もやむを得ないという声が
・被害の特に大きい田野畑駅で線路わきを掃除をする住人がいた
だって田野畑の玄関だもん
(自身が被災しても掃除をしていた宮森さん)
・無人駅で掃き掃除をする住人の姿も
・社長の望月さんに問われ施設管理部長の小田さんは復旧までぎりぎり3年と計算
→これが地元の人が待てる限界ではないか
3年後子供たちの入学式(春)までに全線を復旧させよう
(三陸鉄道の元社長の望月さん)
・望月さんは独断で鉄道運輸機構へ工事発注を踏み切った
・資金のあてはついていない
35年の公務員生活で下したことのない人生をかけた決断だった
ゼネコンと住民の力
・半年後国からの補助を取り付け復旧工事が本格始動した
・南リアス線は72か所破壊していた
・西松建設と熊谷組の力を借り一気に工事を進める
・作業量は見積りの3倍
・地元の女性たちが食事係をかって出た
三鉄通るまで頑張ろうって
(自宅が被災し仮設住宅から毎朝4時に仕事に向かった女性)
ひときわ苦戦した島越駅
・北リアス線の真ん中にある島越駅
・砂地で脆弱な地盤の上に駅舎と高架橋が建てられていた
・地盤改良と防潮堤を兼ねた橋梁をかけ直さなければならなかった
・東急建設が担当した(所長は筒井光夫さん)
・2000本の杭を打ち込み軟弱地盤に対応
この難所を担当する工事のスピードが工期を守れるかのカギとなった
遅れだす工事と使命感
・1年後工事が遅れだした
・地盤改良が終わらず橋梁の建設に進めなかった
失敗だとかそういうのも夢には出てきましたけど
自分だったら何とかできるって自分に言い聞かせて
(東急建設の所長の筒井さん)
・開業まで残り半年で工事は2か月遅れていた
木の陰で休むようなそういう所もない
そういうところで仕事をなさっているんだなあって、本当に感謝しました
(島越駅エリアに住む早野さん)
・震災以来病床に伏した早野さんの夫が工事の記録を写真に撮った
・その写真をみて筒井さんは驚き感動した
・通常は土台が完全にできてから始める敷設工事を同時にした
・つてを頼って作業員を集め、複雑を極める段取りを我慢強く解決した
・昼夜二交代の突貫工事をした
・大雪に見舞われた時は総出で雪を掻いた
→試運転 2014年3月17日 すべての線路がつながった
資金繰りに奔走する三陸鉄道
・銀行融資を得て雇用を守ろうとするも足りずパートの職員に辞めてもらうことに
・ねじ曲がったレールを総出で磨きインターネットで販売、資金の足しにした
三陸鉄道全線再開から10年
・2014年4月三陸鉄道全線の運転再開
・沿線のあちこちで大漁旗などが振られていた
・地元の足として学生たちの足を支えている
・金野さんは取締役になった今でも現場に立ち続ける
・震災を経験した若い人が三陸鉄道で仕事をしている
★★★★★★★★★★★★★★
地元の人々の気持ちがあって今三陸鉄道が動いているんだなあと思うと
たった一両で走る姿を見るだけで感動しました。
3年で三陸鉄道の全線を復旧させることがいかに大変だったかと思うと、
これから三陸鉄道を使って地域がもっと発展するといいなと切に願いました。
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