新プロジェクトX アンコール 黒四

新プロジェクトX アンコール 黒四 テレビ

2024年4月27日(土)の新プロジェクトX~挑戦者たち~
旧作アンコール厳冬 黒四ダムに挑む~断崖絶壁の輸送作戦~でした。
以下、まとめと感想と少しネタバレです。


初回放送2000年6月
標高3000メートル級の山々が連なる立山連峰の断崖絶壁の奥地に作られた

黒部ダム(愛称:黒四ダム)
完成当時大阪府の電力の半分を生み出す。
日本最大の黒四ダムの工事には述べ1000万人が参加。
当時の司会は国井雅比古アナと久保純子アナ。
ゲストの1人として幻冬舎の見城徹さんが登場。


当時の大阪の状況
・戦後10年、大阪は慢性的な電力不足だった
・関西電力は地元の財界、企業から電力不足を解消するよう求められていた
・関西電力は建設大手5社を前にダムが必要だと訴えた
・その工事が7年を超すと大阪が停電になる日が続くと訴えた
・巨大ダムが建設できる場所は富山県黒部渓谷しかなかった


黒部渓谷は水力発電にはもってこいだが・・・
・大正の初めから何度もダム計画が立てられたが失敗を繰り返した場所
・間建設がダム建設、熊谷組が輸送路は長野側から5キロのトンネル

(大町トンネル)を担当
トンネル工事は1かかる計算
・60万トンの荷物を運ぶ必要がある

間建設 中村精さん(当時47歳)
生涯11のダムを作り大マムシと呼ばれたダム屋
電力開発は1万キロワット生むごとに死者が1人出ると言われた
黒部渓谷の足場は大正時代の調査隊が残した幅50センチの木の歩道のみ


数々のダムを建設した中村さんをもってしても過酷な現場だったそうです。
今でも黒部ダムに行くたびに亡くなった犠牲者の石碑に深々頭を下げ、

この人たちがいたからダムはできたと話してくれました。

ブルドーザーで尾根を登り、ソリで建設機材を運ぶ計画
・400人の強力(ごうりき)を集める
・女性で40キロ、男性で最高100キロを担ぐ
・2日がかりで黒部渓谷へ運ぶ
・全国の建設会社からブルドーザーの運転手10人を引き抜く
・ブルドーザーで標高2700メートルの尾根に登り雪を待ってソリに資材を乗せ、

黒部渓谷に滑り落ちる計画
・9月にスタート、12月までに道を切り開くことが目標
・1か月後落石で1台のブルドーザーが埋まる
・食事は米と味噌と保存食、登山者用の山小屋を泊まり歩いた
・標高が高くなると保存食がなく、池にいたかえるを捕まえて食べた
・100日かかって目標地点までブルドーザーをあげた
・翌年4月にブルドーザーでそりを引いて尾根を滑り降りた
・同じく4月に雪崩が発生し5人が飲み込まれ1人が亡くなった


大町トンネルの苦戦と迎え掘り
・岩盤が弱く柱で支える工事に時間がかかった
・黒部側からもトンネルの迎え掘りをしないと間に合わない
・志願して集めた迎え掘りをするための越冬隊50
交代制で24時間行った
・冬になると現場では氷水が噴き出し、作業員は風邪をひいたりけが人が相次いだ
・地面の下に保存した野菜が凍って使えなくなった
・体重が落ちたり、精神に変調をきたす作業員もいた
・医師が帯同し作業員の健康をチェックした
・昭和32年春、長野側から1・7キロ地点で大出水がおき、冷たい水で

トンネル内は泥沼状態に
・工事は5か月間1歩も進まなかった
・昭和33月、か月遅れで大町トンネル開通


春になりダム工事へ
・1000人の作業員が現場まで登る
・トンネル開通が遅れ、真っ先に火薬を運び山肌を発破した(昭和33年6月)
→削岩機で数か月かかる作業と同様に山肌を削ることができた
 2000人で万歳三唱して喜ぶ

昭和38月黒四ダム完成
・着工から7年の工期は守り抜かれた
作業員171人が亡くなった


★★★★★★★★★★★★★★
黒四ダムがとてつもない苦労の上に完成したことは知ってはいましたが、

想像以上の困難にびっくりしました。
ブルドーザーで尾根を上がるとか、ソリを使って重機を運ぶ、

トンネル工事を行う作業員が冷水を浴びる中作業をしているなど、
もう現代ではその過酷さから工事をすることは無理なのではないかと
思ってしまいます。
ダム建設着工の時のみんなで万歳して喜ぶ姿も雄大でした。
あの現場に立った人達だけの一体感を感じました。

新プロジェクトX 毎週土曜夜7時半~ NHK総合

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