英雄たちの選択 秀吉 終活

英雄たちの選択 秀吉 終活 テレビ

2021年9月15日(水)の「英雄たちの選択」は豊臣秀吉の終活でした。

秀吉は京都の内裏があった近くに京都新城を建てました。
それは息子の秀頼のためでした。
これは2020年に京都御所の南側で新たに発見された遺構から分かったことです。
それはとても大きなもので内裏よりもはるかに大きなサイズのエリアを占めていました。
秀吉はどういう意図でこの建物を作ったのかはテレビでも奈良大学の千田教授や静岡大学名誉教授の小和田教授、作家の伊藤潤さんが色々推測していました。
でも今の所、そのあたりのことは全く分かっていないそうです。
とにかくその京都新城は築城から3年ぐらいで壊されたそうです。
関ヶ原の合戦の直前に西軍によって塀など壊されたそうです。
磯田さんの見解では、その当時伏見城が落城しており京都では落ち武者狩りがあったそうです。
京都新城には北政所が住んでいたとも言われ、落ち武者が北政所のところに逃げ込んでしまうかもという懸念があったという推測です。
そのあとずっと忘れられていたなんてなんだかすごい話ですね。
秀吉は天下を獲った後、一旦は後継者を姉の子供である秀次に決め、家督を譲ります。
その後鶴松が生まれるも幼くして亡くなってしまいます。
しかしその後秀頼が生まれると、秀吉は秀次を後継者から外し切腹させてしまいます。
秀次だけでなくその妻や子供も殺してしまいます。
これは大変なことです。
秀次の妻には大名がこぞって娘を差し出していました。
それがことごとく殺されてしまったので大名たちはどう思ったでしょうか、と解説していました。
その後秀頼を後継者としますが、今度は秀吉が病に倒れます。
そして亡くなるわずか1年前に完成したのが京都新城だったそうです。
秀吉の終活とは豊臣家の繁栄と秀頼の未来のために土台を築くことでした。
五大老には秀頼の後見人になることや二度も遺言書を書いたりして念を押します。
これが秀吉の終活でした。
磯田さんは秀吉としては前田利家が生きていれば徳川家康は暴走しないと考えていたのではないかと推測していました。
しかし前田利家は秀吉が亡くなった翌年に亡くなり、その後徳川家康が天下を獲りました。
歴史にもしはないけれど、もし秀吉にたくさん子供がいたら、もし前田利家がもっと長生きしたら、と思ってしまいます。

英雄たちの選択 毎週水曜夜8時~ BSプレミアム

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