2021年9月29日(水)の「英雄たちの選択」は葛飾北斎でした。
北斎はなんと90歳まで生きた人で江戸時代としてはかなりの長寿でした。
それでも死に際の言葉は「10年、いやあと5年あれば真の絵描きになれたのに」というものだったそうです。
すごい創作意欲です。
北斎は長く絵描きをして弟子入りした勝山派には10年以上所属していました。
その間にも中国絵画や西洋絵画なども学んだそうです。
そのあとは自分で描くようになったそうです。
当時の絵描きは大衆向けに絵を見せ、人気が出なければ次の仕事が来ないという厳しい世界でした。
北斎の大胆な構図や色使いは、常に大衆をあっと言わせるようなことを意識した結果なのだと思います。
英雄たちの選択で北斎が選択を迫られたシーンはベロ藍と呼ばれる、いわゆるプルシアンブルーが外国から持ち込まれ、そのベロ藍を使って何を描くか、というものでした。
大衆向けに描くか、肉筆画と呼ばれる版画などではなく自分自身の作品を描くかという二択でした。
北斎は大衆向けの作品を描くことにしたのです。
そこで生まれたのが「富嶽三十六景」でした。
作品にはベロ藍と日本の本藍も使われているそうです。
あの有名な作品がこのタイミングでできたということに驚きを感じました。
この時すでに北斎は70代でした。
北斎はお金や着るもの、行儀作法などに無頓着で、とにかく変わった人ではあったようですが、仕事はあったので生活は問題なくできたようです。
当時の江戸は大火が多かったそうですが、その当時の大火でいくつもの版元が燃えてしまい、この当時は生活するのがやっとだったそうです。
そんな時訪れたチャンスがこのベロ藍を使った作品ということでした。
70代で決して順調とは言えないプライベートの中、このチャンスに「富嶽三十六景」を世に出せる北斎はすごすぎると思いました。
当時の版画は美人画や歌舞伎役者を描いた人物画が主流だったそうです。
そこにこの風景画が登場すると、たちまち版画のジャンルの一角になったそうです。
北斎の「富嶽三十六景」の後に歌川広重の「東海道五十三次」が発表され風景画というものが確固たるものになったそうです。
もちろん広重の作品もベロ藍が使われています。
広重の作品の青は「ヒロシゲブルー」とも呼ばれるそうです。
そういう背景を知ると、作品を見る目が変わっちゃいますね。
今日は「富嶽三十六景」に感動した一日でした。
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