2022年6月11日(土)の「ブラタモリ」は町田でした。
以下、まとめと感想と少しネタバレです。
今回は町田でしたが、タモリさんは来たことがないそうです。
今回のタモテバコ
なぜ東京・町田は「神奈川県町田市」と間違えられるのか
今回の案内人
町田市教育委員会 学芸員 松崎稔さん
東京都立大学 自然地理学 教授 鈴木毅彦さん(渋谷の回にも登場)
国分寺市教育委員会 依田亮一さん
都立小山内裏公園 山田智さん
今回のルート
①JR町田駅南口
➁町田市役所屋上
➂多摩丘陵
④多摩丘陵にある公園
⑤境川付近
⑥町田市の中心にある公園
案内人の松崎さんとJR町田駅南口でお話していると、この南口の登りエレベーターは神奈川県相模原市で下りは東京都町田市に分かれていると説明を受けました。
タモリさんびっくりしています。
町田が神奈川県と間違えられる理由
①町田市内を走るバスのほとんどが神奈川中央交通のバス
➁東名高速のインターチェンジ「横浜町田」
➂町田市内に「横浜銀行」が目立つ
④町田市内の図書館の郷土資料コーナーに「神奈川県」がある
これはすごいですね。
これだけあるとタモリさんも笑っていました。
地質的にも神奈川
・多摩丘陵あたりは50万年前は相模川が流れていたが、10万年前までに現在の流れになった
・相模川は現在の多摩丘陵の土台を作った川
・多摩丘陵にはトーナル岩(花こう岩の仲間で石英と斜長石を多く含む岩石)がたくさん見つかる
タモリさん、トーナル岩って言い当ててましたよ、さすがです。。。
古代における多摩丘陵の使い方は神奈川と東京にまたがり国境はあいまい
・多摩丘陵の斜面の下に水があり、傾斜を利用した登り窯で焼き物の瓦を作っていた
・瓦は相模国(神奈川)と武蔵国(東京)の国分寺で使われた
秀吉の太閤検地で境川が県境となる
・関東ローム層が厚くたまっている相模野台地に流れる境川を県境となる
・相模野台地の境川を挟んだ土地ということで神奈川の印象が強まる
・かつての境川は蛇行しており、一部現在の川の流れと違うものの、県境はかつての境川のままなので、相模原市が一部町田に食い込んだような県境になっている
関東ローム層
火山灰を多く含んだ地層で関東平野に広く分布
境川の改修で川の蛇行がなくなったものの、県境はそのまま残り、境川より町田側にあっても相模原という場所がいくつもあるそうです。
確かにこんな飛び地みたいな場所があると川で区切られたとはいえ、やっぱり神奈川っぽく感じてきますよね。
町田が東京になった理由は明治以降の東京都と神奈川県の思惑が一致したこと
・町田は自由民権運動が盛んなエリア
・明治の半ばまで三多摩(北多摩郡、西多摩郡、南多摩郡)は神奈川だったが、法律により東京都に移される
・東京都は安全に水を確保するため玉川上水を一括管理するために多摩郡を東京都に移した
・南多摩郡は玉川上水は通っていない
・中央集権の強い国造りを優先する神奈川県知事内海忠勝と民意を大事とする石阪昌孝は対立関係にあった
・玉川上水を一括管理したい東京都と石阪率いる町田を除外したい神奈川県の思惑が一致して三多摩をセットで東京都に移す
石阪昌孝(1841年から1907年)
明治時代、自由民権運動に生涯をささげた、町田のリーダー
資金作りのために屋敷を売り払い、柿の木が一本だけ残ったといわれる
神奈川でも大きな支持を得る
神奈川と結びつきが強くて、これは神奈川と勘違いされてもおかしくないことがたくさんあったのに、最後町田が東京都になった理由が各県の思惑からだったというなんとも生々しい理由だったことに、タモリさんも驚きを隠せない様子でした。
確かに、最後にこんな理由?って思いました。
町田は本当になかなかない経緯をたどって東京都になったんですね。
今回のタモリさんの衣装
白か淡いグレーのスプリングコート
ブルーのニット
太目のブルーのストライプのシャツ
グレーのパンツ
ブルーのスウェードの運動靴
今回のタモリさんのランチ
今回は写真がありませんでした。。。
ブラタモリ 毎週土曜夜7時半~ NHK総合
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