2022年9月3日(土)の「ブラタモリ」は「石見銀山~”世界の石見銀山”そのすごさとは?~」でした。
以下、まとめと感想と少しネタバレです。
石見銀山はなかなか観光で行くことができないので、とても楽しみです!
石見銀山が発見されてしばらく経った16世紀にポルトガルで描かれた地図に石見銀山は大きく載っており、すでに世界に知れ渡った存在だったそうです。
今回のタモテバコ:”世界の石見銀山”そのすごさとは?
今回の案内人
大田市教育委員会 石見銀山課 中田健一さん
島根県立三瓶自然館サヒメル 学芸員 中村唯史さん
今回のルート
①石見銀山が見える大森の町
➁石見銀山仙ノ山
➂仙ノ山の頂上近く
④大森町
⑤温泉津温泉
石見銀山では坑道のことを間歩といいます。
間歩の入り口は1000か所以上あったそうで現在でも2か所は入ることができます。
タモリさんが入口に近づくと中からとてもひんやりした冷気を感じていました。
冷気がでてきて水蒸気が発生して霧のようになっていました。
石見銀山のすごさとは?
石見銀山の中は年間通じて10度だそうです。
これは寒い!
石見銀山の間歩には今でも鉱脈が残っていますが、ここの鉱脈は他に比べて細いそうです。(鉱脈がある部分は黒くなっています)
しかし実際には広い空間を作り出すほどの鉱脈がありました。
石見銀山の石は凝灰角礫岩だそうです。
凝灰角礫岩:火山による灰や礫(小石)で出来た岩や柔らかいものが多い
★仙ノ山に銀が入り込む仕組み
仙ノ山は溶岩でできた山ではなく火山礫などが降り積もった土砂の山(隙間がある)
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仙ノ山の下にはマグマで温められた高温の地下水
↓
高温の地下水の中には周辺の岩盤に含まれていた銀が溶け込む
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高温の地下水が岩盤の割れ目を通って地表近くまで上昇して吹きだした
↓
土砂の山に広い範囲で銀を含む熱水が広がった
このような熱水が山にしみ込んでできた銀山は日本で石見銀山だけだそうです。
★石見銀山は崩れやすいが掘りやすい
掘り進めるスピード 佐渡銀山=一日10センチ
石見銀山=一日30センチ
【番外編】江戸時代末期になると石見銀山で働く人を守るため福面と呼ばれるマスクが考案された
★石見銀山の山頂に製錬所があり、町が広がっていた
間歩の近くに衣食住一体の製錬所があった(鉱山都市)
→効率よく銀を産出することができた
石見銀山のふもとの町のすごさとは?
石見銀山は江戸幕府の直轄地
・ふもとの大森に江戸幕府が銀山を管理する行政機関があった
・銀山閉山後も当時の街並みを残し、大森は石見銀山の世界遺産の一部となった
→わざわざ昔の姿に近づけて家を修復した(室外機も木で覆う)
・世界遺産登録50年前に町民全員参加の保存会が結成
★銀山川の氾濫で大森はたびたび水害にあう
銀山から流れた土砂が堆積する
↓
その都度町ごとかさ上げしてきた(400年)
石見銀山のすごさと管理する行政の町が保存されていたことも世界遺産登録へのポイントだった
銀を運ぶ港のすごさとは?
★石見銀山の港である温泉津の成り立ち
300万~200万年前 温泉津辺りには川が流れていた
200万年前 火山活動がおこり仙ノ山をはじめとした山々ができる
川がもっと南に下がり温泉津には川が流れなくなった
川がなくなったことで土砂が流れなくなりリアス海岸となる
温泉津は凝灰岩でできたリアス海岸で浸食されやすいため深い谷ができる
→入り組んだ地形のため穏やかで掘り出した銀を運び出せる
★リアス式のためセキュリティも万全な入り江
入り組んだ港の一か所を閉鎖して入口に二か所城を設けて湾から侵入する船を見張る
→銀は高価なものだったが、セキュリティが高い港から運び出すことができる
タモリさんは石見銀山の山のつくりから港のつくりまで、とてもよくできていたことに驚いていましたね。
パナマ帽のつばがちょっと丸くて、でもとてもタモリさんに似合っていました。
次回は恐山だそうです!
今回の衣装
ブルーのマウンテンパーカ
ブルーのチェックのボタンダウンのシャツ
ベージュのチノパン
茶色のベルト
ブルーのスニーカー
パナマ帽
ブラタモリ 毎週土曜夜7時半~ NHK総合
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