2022年10月8日(土)の「ブラタモリ」は「東京スカイツリー~なぜここにスカイツリーは立っている?~」でした。
以下、まとめと感想と少しネタバレです。
タモリさんのスカイツリーの印象は「下町にたつ山の手のお嬢さんを気取ったヤツ」だそうです。
面白いたとえ、タモリさんらしいです。
スカイツリーのある場所は鉄道会社(東武)の貨物ヤードだったそうです。
今回のタモテバコ:なぜここにスカイツリーは立っている?
今回の案内人
歴史考古学者 谷口榮さん
東武博物館 学芸員 佐々木由紀さん
設計事務所 意匠設計担当 吉野繁さん
設計事務所 構造設計担当 小西厚夫さん
防災科学技術研究所 大東忠保さん
今回のルート
①道路の延長線上にスカイツリーを一望できる場所
➁桜橋(隅田川にかかる橋)
➂墨堤の中ほど
④北十間川(スカイツリーのほとりを流れる川)
⑤東武博物館
⑥スカイツリー
スカイツリーの立地をさぐる
●隅田川の堤防(墨堤)がカギ!
墨堤は一部クランク(堤防が一部だけ内側にできている)がある
→昔は隅田川の本流であった古川をせき止め、江戸城の方へ流れを変えたため
→スカイツリーが立つ場所は隅田川と古川から運ばれた土砂が堆積して海抜3メートル以下の低地の中では微高地であった
●スカイツリーそばを流れる北十間川
江戸時代に作られた運河である北十間川は少し曲がっている
→かつて北十間川の南側は干潟であったころのなごりで南側はその後埋め立てられた
→陸のキワに立っている
【スカイツリーが立つ場所である押上の由来は波が押し上げたからとも言われる】
●地下の高低差はなぜ生まれた?
スカイツリーの地面の成り立ち
2万年前 墨田区は広大な大地の端にあった(本所台地)
7000年前 海面が上昇し、台地が浸食する
その後砂や粘土が堆積する
→本所台地から外れていたらもっと深くまで長い杭をうつ必要があった
→本所台地(固い地盤)が地面から近い場所にある
●東武の跡地が残ったヒミツ
東武鉄道は都心と埼玉を結ぶ私鉄
吾妻橋駅(現スカイツリー)の先、隅田川を渡って上野につなげたい
↓
しかし徳川邸(関東大震災の後は公園)があり、鉄道を通すことができなかった
↓
北十間川を利用して船渠(巨大な船着き場)を作った
↓
利用客も売上も激増したものの戦後舟運が衰退し、船渠も埋め立てられ敷地が残った
→広大な敷地が都心に残った
スカイツリー建設のヒミツ
●日本の伝統的な形を取り入れている(デザインの意味合いが大きい)
そり:面が反った形 神社仏閣の屋根などに見られる
むくり:面がふくらんだ形 神社仏閣の柱などに見られる
●地面は三角形(〇△▢の中で一番面積が大きくとれた)だが徐々に丸みを帯び、上部は丸形となる
●免震構造のしくみ
心柱(中心部にあるコンクリートの柱)は下は固定してあるが、上は固定していない
↓
心柱の厚みは上にいくと厚くなり、地震で揺れやすくしている
↓
鉄骨と相殺される(地震の揺れを50%程度低減する)
世界一の高さを誇る電波塔日本伝統の形と建築技術の進化を取り入れた形
●雲を集める場所となっている
雲の元になるエアロゾル粒子を採取している
→以前は飛行機を飛ばして採取していたが、高コスト
→ゲリラ豪雨の研究に役立っている
●634メートルのヒミツ
かつて隅田川の本流だった古川をはさんで武蔵国と下総国の境目
→634の語呂合わせで634メートルとなった
【番外編】スカイツリー入口の地面に旧吾妻橋駅で使われた船渠の護岸石が再利用されている
今回はスカイツリーでしたが、テレビで盛んに放送されていたので、なんとなく知った気になっていましたが、立地や構造など知らないことだらけでした。
タモリさんがスカイツリーにたどり着くまでに時間がかかっていたのがおかしかったです。
タモリさんの衣装
紺地に白の柄のシャツ
白のパンツ
茶系のベルト
こげ茶の革靴
黒系のストローハット
今回のランチ:ランチの写真はありませんでした💦
ブラタモリ 毎週土曜夜7時半~ NHK総合
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