2023年9月9日(土)の「ブラタモリ」は
「燕三条~燕VS三条 モノづくりの町 発展のカギとは?~」でした。
以下、まとめと感想と少しネタバレです。
タモリさんも野口アナも燕市と三条市の
デリケートな関係性に踏み込むことについて躊躇がある様子ですが、
いきなり二人の案内人が現れて、ちょっと面白いですね。
今回のタモテバコ:燕VS三条 モノづくり発展のカギとは?
今回の案内人
・燕市産業史料館 学芸員 齋藤優介さん
・三条市生涯学習課 学芸員 藤野哲寛さん
今回のルート
①燕三条駅前
➁信濃川
➂旧三条商人宅
④弥彦山
⑤越後平野
⑥燕三条駅前
⑦弥彦線の終点、彌彦神社(越後一宮)
燕三条という市はない
・燕三条駅はあるが、駅の西側が燕市(燕口)、東側が三条市(三条口)
・二つの市の境界線上に駅がある
<燕市の主張><洋食器の町>
・世界に誇る洋食器(ノーベル賞の晩餐会で提供されるカトラリー、G7のお土産、ユリ・ゲラーが唯一曲げられなかったスプーン)は燕市で製造
・三条燕ICは燕市にあるから燕ICでよかったのでは
<三条市の主張><鉄製品の町>
・北陸自動車道の三条燕IC(昭和53年)の後に燕三条駅(昭和57年)ができている、三条燕駅でよかったのでは
・駅長室は三条市側にある
モノづくりの原点である燕三条
<三条市の主張>
・信濃川はかつて3年に1度氾濫を起こす川で平野部は地図に描かれていないが
三条市は少し高い場所にあるため地図に描かれており、三条市が先に発展した
・(信濃川と合流する)五十嵐川を通じて会津からモノづくりの技術と
共に木炭が運ばれてきた
・燃料となる木炭(会津)と鉄(日本海)を集めることができた
・和釘が作られ江戸へ送られる
・全国で使われている鎌の形を調べ、職人に安く作らせて販売し(三条商人)
全国に広がった
<燕市の主張>
・三条商人に安く買いたたかれ不満があった燕だったが、
江戸時代中期、銅が見つかり独立を果たす
・弥彦山に銅山街では大正時代ひと月50トンの銅を採掘
・銅製品(やかん、矢立、きせるなど)で発展
・独自の加工技術が発達
・明治時代に洋食が入ってくると高い技術を生かし洋食器の製造を行う
燕と三条が取り組んだ信濃川の氾濫
・山を削って信濃川の分水路を作った(明治3年着工、50年以上かかった)
・削って出た土を田んぼに混ぜて土壌改良をした
(かつては胸まで浸かるぐらいの土地)
・工事には燕と三条の職人たちが加わった
大正時代に生まれたモノづくりの発展に欠かせないもの
・鉄道(弥彦線)が燕と三条を結ぶ線で作られた
・越後線と信越本線の間を結ぶ形
・職人を運び、できた製品を国内に流通させることができた
弥彦線が結んだ燕三条の職人たち
・彌彦神社の本殿が火災で焼失し、現在の場所に建て替えられた
・もともと弥彦線は彌彦神社への参拝路線として開業
・彌彦神社の一部に作られたグランドが競輪場になった
➡週末には多くの燕と三条の職人さんたちでにぎわう
タモリさんの衣装
・黒の麦わら帽子
・白地に黒の柄シャツ
・グレーのパンツ
タモリさんのランチ:カツ?フライ?揚げ物を頬張っています。
番外編:有名人もライバル(ともにプロレスラー)
三条市:ジャイアント馬場さん
燕市:キラー・カーンさん
※キラー・カーンさんは日本人です。
★★★★★★★★★★★★
今回は終始案内人が2人だけで、
ずっと燕と三条の対立をあおっていて面白かったです。
燕と三条の関係性がよく分かりました。
知りませんでしたが、彌彦神社が越後一宮なんですね。
それも深いですね。
ブラタモリ 毎週日曜夜7時半~ NHK総合
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