2023年12月9日(土)の「ブラタモリ」は
「四国・宇和島~“ギザギザ”は宇和島に何をもたらした?~」でした。
以下、まとめと感想と少しネタバレです。
今回のタモテバコ:“ギザギザ”は宇和島に何をもたらした?
今回の案内人
・宇和島市教育委員会 文化・スポーツ課 廣瀬岳志さん
今回のルート
①宇和島城
➁宇和島城の外側
➂宇和海
④宇和島の端の段々畑
⑤宇和島市闘牛場
宇和島城
・1596年 藤堂高虎が築城
・築城時は海城(海を水運や防御に活用した城)
・高虎が大名になって初めて自分のために作った城
・高虎は江戸城や大坂城の設計・監督に携わる『城づくりの名人』
・現存12天守(江戸時代までに建てられ今も現存する12の天守)のひとつ
宇和島の地形の特徴
・”ギザギザ”としたリアス海岸(狭い湾が複雑に入り組んだ海岸地形)
・大きな川がなく海の近くに高い山がそびえ平地が少ない
→大きな川がないと谷が土砂で埋まらないため
・豊臣秀吉が朝鮮出兵にこの地に住む海賊を利用しようと藤堂高虎を派遣
藤堂高虎がつくった城下町とは?
・当時の町割りは現在でも残る
・町の中に流れていた川を山側にうつすつけ替えを行った(平地を最大限に利用するため)
・宇和島に流れ込んだ小さな2つの川が貴重な扇状地を作った
→高虎が宇和島にいたのは6年だけ
高虎の後宇和島を治めた伊達家
・伊達政宗の長男秀宗は側室の子で跡継ぎではなかったため、政宗が家康に働きかけ10万石の大大名(初代宇和島藩主)となった
しかし・・・
・隠居する際に寵愛していた側室の子(五男)に宇和島藩の領地を一部与え吉田藩とした
→川のそばにあるいい土地(米作ができる土地)が吉田藩のものとなる
宇和島藩2代目当主宗利はどう動いた?
・海で獲れる魚から税をとり藩の貴重な財源とした
・山の傾斜を段々畑にしてサツマイモ栽培を行った(水がなくても育つ作物)
→段々畑で作った作物は無税とした(食料をつくる場所だったため)
石高が減ったピンチを乗り越えることができた
現在でも恵みをもたらす
・マダイやシマアジ、クロマグロ、真珠の養殖を行う
・いけすを作りやすい地形がある
→海が静か、土砂の流入がないため浅くならない
・段々畑は水道が整備されたことで柑橘類を育てる場所となった
魚の養殖、かんきつ類の栽培は現在の宇和島の主力産業となっている
宇和島の娯楽『闘牛』はどうできた?
・段々畑を闘牛場に利用した
・谷の地形を利用して観客席と土俵を作り、牛の管理もしやすかった
・最盛期の昭和の初めには100以上の闘牛場があった
宇和島闘牛
年に4回闘牛大会を開催
平成7年 文化庁無形民俗文化財に選択
タモリさんの衣装
・紺のカーディガン
・ピンクのボダンダウンのシャツ
・ライトベージュのパンツ
・黒系の靴
タモリさんのランチ:ランチの写真はありませんでした。
★★★★★★★★★★★★
今回の宇和島は藤堂高虎とその後の伊達家の統治について勉強した感じでした。
宇和島藩のピンチを乗り越えた宗利、もっと評価されてもいいなと思いました。
ランチの写真はありませんでしたが、きっと魚料理を食べているんじゃないかと
思っています。
ブラタモリ 毎週土曜夜7時半~ NHK総合
見逃した方はU-NEXTでどうぞ。今なら31日間無料体験。