2024年2月3日(土)の「ブラタモリ」は
「鎌倉~頼朝は武士の都・鎌倉をどうつくった?~」でした。
以下、まとめと感想と少しネタバレです。
今回で3回目の鎌倉です。
タモリさんも「やりつくした感じが・・・」とオープニングで話していました。
初代将軍、源頼朝は日本初の本格的な武士の都を作りました。
しかし鎌倉時代についてはっきりわかっていないことも多く、
研究家たちは吾妻鏡を参考しています。
<吾妻鏡>鎌倉時代に書かれた幕府公認の歴史書
・日記形式で記されている
・徳川家康の愛読書で、江戸時代には武士の教科書的な存在だった
今回は吾妻鏡を手掛かりに武士デベロッパー源頼朝の町づくりに迫ります!
今回のタモテバコ:頼朝は武士の都・鎌倉をどうつくった?
今回の案内人
東京大学資料編纂所 教授 高橋慎一朗さん
鎌倉市教育文化財部 文化財課 福田誠さん
今回のルート
①鶴岡八幡宮
➁由比若宮(元鶴岡八幡宮)
➂若宮大路にある二ノ鳥居
④西御門の地名のエリア
⑤源頼朝の墓
⑥東御門川のエリア
⑦永福寺跡
頼朝の町づくりの第一歩
<1180年 八幡宮を鶴岡に移す「吾妻鏡」>
『先祖代々の神社を町の中心に』
京都が拠点の源氏は頼朝の5代前の頼義と6代前の頼信は朝廷の命で
関東での反乱を治めたことで鎌倉に領地を得て源氏の氏神をまつる八幡宮を建てた
→頼朝にとって源氏ゆかりの土地だった
頼朝の町づくりの要の参詣道
<1182年鶴岡八幡宮の前から由比の浦まで参詣の道を作った「吾妻鏡」>
『水を生かした町づくり』
・参詣道は谷筋にあり水が集まる為湿地のような場所だった
・壇葛を作り(一段上げ)水はけの悪い谷筋でも歩きやすくした
・壇葛の両側に排水溝を作り、徹底的な湿地対策を行った
・排水溝は二ノ鳥居から川と合流し自然の川の流れで排水
・鶴岡八幡宮の両側にも堀を作り、谷筋の水を排水させた
頼朝が幕府を作った場所は?
<1180年大倉郷に建設「吾妻鏡」>
・大倉とは鶴岡八幡宮の東側にあるエリア
・どこに幕府を置いたのかはっきりしない
(ブラタモリの推測)
・西の端は西御門の地名が残るエリアか
(暗渠になった川から建物の跡がみつかる→門だった可能性)
・北の端は頼朝の墓がある場所か
・東の端は東御門川とある川か
武士の都の総仕上げとして作った寺・永福寺
<1192年頼朝が永福寺の庭の石の配置を直した「吾妻鏡」>
『永福寺は頼朝の権力の象徴』
・池がある寺は平安期の寺と様式が似ている
・極楽浄土の世界観を表している
・1189年奥州合戦(奥州藤原氏を滅亡させた戦い)で武士の頂点に立った
頼朝の力を見せつけるための寺
タモリさんの衣装
オレンジのマフラー
茶色のキルティングのコート
黒系のパンツ
黒系の運動靴
タモリさんのランチ:今回はランチの写真はありませんでした。
★★★★★★★★★★★★
今回は源頼朝が町づくりにいかに尽力したかにフォーカスを当てていました。
こう見ると鎌倉という場所は色んな要素がある場所なんだということが分かります。
永福寺が今あったらどんな姿だったのか、見てみたかったですね。
ブラタモリ 毎週土曜夜7時半~ NHK総合
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