2024年7月6日(土)の「新プロジェクトX」は
「トットちゃんの学校~戦時下に貫いた教育の夢~」でした。
以下、まとめと感想と少しネタバレです。
落ち着きがないという理由で小学校を退学になった黒柳徹子を受け入れてくれた
トモエ学園。
「どんな子供も素晴らしい才能を持っている」という信念を持つ音楽教師が作った学校には、障害のある子供、差別を受けた子供、他の学校で受け入れられなかった子供が多くいた。
激動の時代に信念を貫いた教師たちの物語。
トモエ学園ができるまで
・東京芸術大学出身の音楽教師である小林宗作さん
・当時多くの学校で徹底していたのは一斉教授と模倣、音楽は大人が教えたい道徳的な歌詞が入った唱歌
・音楽教師として限界を感じ、30歳で辞める
・海外を遊学中に新渡戸稲造と出会い、当時話題になっていた学校を紹介される
・フランスのパリの学校でリトミックに出会い研究に打ち込んだ
⇒昭和12年小林さんの考えに賛同した人々の支援を受けトモエ学園開校
トモエ学園とは?
・教室には使わなくなった車両を使った(子供たちがワクワクするように)
・様々な事情がある子供が入学してきた
(体の成長が止まってしまう病気の子供、フランス人の祖父を持つ子供、
発育不良と言われ入学を断られた子供など)
(小林)先生は私の話を4時間聞いてくださったことになるんです 黒柳徹子
・黒柳さんが通っていた当時(昭和15年)は教師およそ10人、
生徒およそ40人の学校
トモエ学園の独特な授業
・通常の学科の他、小林先生がピアノを弾くリトミックが毎日行われる
・授業に好奇心を引き出す工夫をちりばめた
(キャラメルを買って与えいくつか食べさせ残りを聞く、
歴史で泉岳寺へお参りへ行く)
・教師には小林先生の理念に共感したものが集まっていた
(毎日騒動を引き起こす黒柳に)君は本当はいい子なんだよ 小林宗作
戦争が暗い影を落とす
・太平洋戦争がはじまると教育現場への圧力が強まる
・トモエ学園の教育に批判の目が向けられるようになった
・やむなく転向していく子供もおり、学校の経営が苦しくなった
教育は20年先を見て行うものだ 小林宗作
・本土空襲が始まり、子供の集団疎開が決定、授業を続けられなくなった
・小林先生の故郷である群馬で山を開拓し食料を確保、即席の教室で授業を行った
・昭和20年の空襲がトモエ学園を直撃、学園は焼失した
おい、今度はどんな学校を建てようか 小林宗作
⇒戦後の混乱、再開資金があるはずもなく、開校から9年でトモエ学園小学校は廃校に(昭和21年)
戦後の小林先生の歩みと現状
・教育者を育てることに力を注いだ
・幼稚園や大学で教鞭をとった
・昭和38年に亡くなった(享年69歳)
・トモエ学園の跡地には卒業生による記念碑が建てられていた
・小林先生が教え子とともに務めた幼稚園(国立音楽大学付属幼稚園)では
自分のリズムを感じる授業が受け継がれている
・園庭にある藤棚はトモエ学園に咲いていたもの
★★★★★★★★★★★★★★
黒柳徹子さんの「窓際のトットちゃん」を読んだことがありますが、
本当に楽しく毎日学校へ行っていた様子が伝わってきて、この時代にすごいことだなと思っていました。
小林先生がこの戦時下でやった教育は今に通じる、今でも先進的な教育で
20年どころじゃなく先を行っていたなと思います。
小林先生の功績がもっと認められるといいなと思いました。
新プロジェクトX 毎週土曜夜7時半~ NHK総合
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