2022年8月17日(水)の「英雄たちの選択」は「流転!足利義満が愛した秘宝」を見ました。
以下、まとめと感想と少しネタバレです。
今回のゲスト
茶人 千宗屋さん
学習院大学教授(美術史家) 島尾新さん
東京大学教授(思想史家) 小島毅さん
千さんと島尾さんが牧谿のすばらしさを語るのに対して小島さんはどこがいいのか分からないというコメント、アリだと思います。
流転!第一章 足利義満の秘宝
室町幕府第三代将軍足利義満が自らの権威を高めるために使ったとされるのが唐物とよばれる中国の美術品だった。
それを金閣寺の隣にかつあったとされる天鏡閣という二階建ての建物に飾った。
義満が特に重用したのが牧谿(もっけい)の作品だった。
瀟湘八景図 八枚
「漁村夕照」(国宝)根津美術館
「遠浦帰帆」(重要文化財)京都国立博物館所蔵
「煙寺晩鐘」(国宝)畠山記念館
「平沙落雁」(重要文化財)出光美術館
「洞庭秋月」徳川美術館所蔵
「山市晴嵐」東京国立博物館
「瀟湘夜雨」
「江天暮雪」
瀟湘八景図の問題点
絵が4枚づつ2巻になった巻物でとても長い
義満がとった大胆な行動
巻物を切ってそれぞれに自分の所有であることを示す「道有」の印を押した
それぞれを豪華な表具で飾り掛け軸にした
室町幕府が弱体化すると金に困った八代将軍足利義政が売ってしまったという
↓
こうして瀟湘八景図はばらばらになってしまいました💦
流転 第二章 天下人・信長の大名物
戦国時代、茶の名品は領地に匹敵するぐらいの価値を持ち、交流や交渉の場となった茶会で出される茶器や掛け軸の名品が持ち主の格や力を表すものに利用された。
信長が集めた四つの瀟湘八景図
「洞庭秋月」「遠浦帰帆」→越前朝倉義景が持っていたもの
「山市晴嵐」「煙寺晩鐘」
その後家臣に分け与えられた
「洞庭秋月」→羽柴秀吉
「遠浦帰帆」→荒木村重
「山市晴嵐」→丹羽長秀
「煙寺晩鐘」→稲葉一鉄
磯田さんの「見せる義満から分ける信長になっている」という発言は興味深かったですね。
流転 第三章 徳川吉宗・江戸ルネサンスの花
大阪夏の陣で随一の手柄を立てた越前藩主松平忠直への恩賞に登場した。
・名物 初花茶入
・瀟湘八景図「平沙落雁」
「平沙落雁」は豊臣秀吉→上杉景勝→徳川秀忠の手に渡った天下の名品であった。
しかし松平忠直は多くの家臣を戦いで失っており、名品よりも地位や領地やお金がほしかったのではないかと推測(→名物 初花茶入を玄関先で割ってしまう)
その後お酒に溺れ、病気を理由に参勤交代を拒否、家臣を斬った忠直は改易された。
徳川幕府八代将軍徳川吉宗は形骸化した学問や芸術を見直し、古いものを見直し改めて見直したいという文芸復興・ルネサンスを果たそうとした。
江戸時代中期の瀟湘八景図の所在地(当時は2枚が所在不明)
「洞庭秋月」→江戸幕府
「瀟湘夜雨」→川越
「江天暮雪」→紀州徳川家
「煙寺晩鐘」→紀州徳川家
「平沙落雁」→津山松平家
「漁村夕照」→西条
当時は唐物の絵画は将軍家や大名の間で祝いや売買に使われていた。
吉宗はそれを大名家の持つ瀟湘八景図を模写して行方の分からない2枚は狩野家に伝わる摸本で補い一つの巻物に仕上げた。→牧谿瀟湘八景図巻摸本(根津美術館所蔵)
吉宗は文化を尊重し争いのない江戸の世を目指そうとしたのではないか。
吉宗は瀟湘八景図をものとしてより情報としての価値に重きを置いた。
人口統計や日本地図を作るなどデータ、情報の重要性に気づいていた知識人であった。
瀟湘八景図の存在価値は時代と共に変化していったのがよく分かりました。
宋の時代に描かれた絵が現在に残っていることは奇跡に近いかもしれません。
ちなみに、今回は英雄の選択シーンはありませんでした💦
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