ブラタモリ 佐賀

ブラタモリ 佐賀 テレビ

2023年3月18日(土)のブラタモリ佐賀~佐賀の発展は”水”にあり?~でした。
以下、まとめと感想と少しネタバレです。


タモリさん、佐賀城に55年ぐらい前に来たことがあると断言していましたね。
途中で通った道のことも思い出してますし、素晴らしい記憶力ですね。

今回のタモテバコ:佐賀の発展は”水”にあり?
今回の案内人
・徴古館(鍋島報效会ほうこうかい)富田紘次さん
・佐賀大学 非常勤講師 下山正一さん
・佐賀大学 教授 宮武正登さん
・佐賀市重要産業遺跡 調査指導員 前田達男さん

今回のルート
①佐賀城
➁佐賀城から歩いて10分ほどにある住宅街
➂有明海
④有明海から車で40分ほどにある神埼市かんざきしの姉川集落
⑤佐賀城
⑥田布施川から分岐した川のほとり

城下町で探る!佐賀と水の関係とは?
江戸時代に作られた水路が今でも半分ほど残っている
・市街地は広大な佐賀平野が広がり、海から20キロ離れても標高5メートル以下
→洪水対策、排水が目的で水路がたくさん作られた

佐賀の発展に重要だった特別な水路である『江』とは?
・泥がないと泥が溜まっている
・江は城下町の端にあり外に向かって伸びている→有明海と繋がっている
→有明海の干満を舟運に利用

有明海:干潮と満潮との海面差が最大6メートルにもなる日本一の干満差

・有明海の干満の影響で泥が堆積して佐賀平野がつくられた
→軟弱で湿気を大量に含んだ湿地性の土壌

泥でできた佐賀平野 人々はどう克服した?
佐賀平野に水路で囲まれた集落が150ほどある
湿地は稲作に向いており、人々は水を大きな水路に集め、そこの水を抜き土を盛って住宅を建て、周りを田んぼにした
→泥でできた平野を克服し、実りある土地へ変えた

さらに進化した集落→城に変化(姉川城など
・堀は水路を活用、山がないので身を守るのは水しかない
・約30もの集落が城に変化
龍造寺家もこのような城からのし上がった

龍造寺隆信
佐賀を拠点にした戦国大名
のちに『五州二島の太守(領主のこと)』と呼ばれた

水を巧みに操り発展!?城下町の水路をたどる
・掘と水路があり堀のほうが低い
井樋いび(水路)を通じて水路から堀に水が供給
→水路は城下に飲み水や生活用水を供給する上水路
→たった一本の人口の川(水路)から城下すべての水路に水が流れている
→広範囲に水を供給するためクランク状にしている、また城の防御の役割も果たす

水路に複数の機能を持たせることで高度な都市設計が行われていた
水害に苦しんだ佐賀の町は複数の役割(排水、上水道、防御)を持たせることで町を発展させた


幕末の発展と水との関係は?
江戸時代の終わり欧米の脅威にさらされ、それに対抗すべく鉄の大砲を作った
佐賀藩主の鍋島直正がいち早く取り組み日本初の実用反射炉を作る

反射炉
木炭などを燃やし、その熱をアーチ状の天井に反射させて金属を溶かす施設
反射炉には熱に強いレンガを使用

→大砲作りで最も時間がかかる「穴あけ」の水車を回すために水が必要だった
→大きな江で有明海に大砲を運んだ

薩長土肥(薩摩・長州・土佐・肥前)の一角として幕末を引っ張る存在となった

★★★★★★★★★★★★
今回は寒かったのか、タモリさんも野口さんも完全防備って感じでしたね。
最後のシーンではすっかり夕方でしたが、学校から子どもの声も聞こえてのどかな感じでした。
今回は移動範囲はそこまで広くないかもしれないですが、町を歩いたり干潟に出たりたくさん歩いていたような印象です。お疲れ様でした。

今回のタモリさんの衣装
・グレーの微起毛のダウンコート
・黒いパンツ
・薄いグレーのニット
・薄いグレーの靴
・きれいなブルーのマフラー
・紺の手袋

今回のランチランチの写真はありませんでした。

ブラタモリ 毎週土曜夜7時半~ NHK総合

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