ブラタモリ 下北沢

ブラタモリ 下北沢 テレビ

2023年4月22日(土)のブラタモリ下北沢~人はなぜ”シモキタ”で夢を見る?~でした。
以下、まとめと感想と少しネタバレです。

タモリさんが下北沢に来るのは2013年小田急が地下鉄になって以来来ていないということでした。
毎度思いますが、ちゃんといつ来たか覚えてるってすごいですね。

今回のタモテバコ:なぜ若者は”シモキタ”で夢を見る?
今回の案内人
・青山学院大学 経済学部教授 高嶋修一さん
・世田谷区教育委員会 文化財係 学芸員 藤井祐子さん

今回のルート
①小田急下北沢駅前
➁下北沢駅南側
森巖寺しんがんじ
④斎田家
⑤下北沢駅前を見下ろせる建物2階
⑥京王井の頭線明大前駅

下北沢はなぜ若者の町になったのか?
若者向けの店ができた理由
新宿・渋谷に近く家賃が安い住居が店舗に変化、若者がチャレンジしやすい環境
古着屋が多い理由
新宿のヒッピー文化が下北沢に移り、安い中古の服を売買したのが始まりだと言われる
高低差があり、道がキレイではない理由
高い台地と川が削った複雑な地形
シモキタらしい町並みになる(揃っていない、小さな建物、ぐちゃぐちゃしている)
急速に発展したため、区画整理がなされないまま住む人が増えていった

かつての下北沢はどのような場所だったのか?
江戸時代はお灸で有名な森巖寺(粟嶋の灸)があった
明治時代は高台でのお茶の生産で栄えた
・武州荏原茶は海外に輸出されていた(国内外で高評価)

下北沢発展のカギとなる2つの路線
井の頭線と小田急線が下北沢でクロスしている理由
・高い台地と低い土地が混在する場所だったため
第2山手線計画の影響
明大前駅には第2山手線の計画のあとが残る

第2山手線計画 山手線の外側を囲む路線
大井町から明大前を通り、洲崎まで通す
利光鶴松(小田急電鉄創業者)のアイデア

・昭和2年小田急線を開通したが、人口が多くなく利益が出にくい
・第2山手線計画では繁華街(新宿や渋谷)を通っていない
資金繰りで難航
・井の頭線の免許が下りたため、権利を買収し、渋谷~吉祥寺までの路線を開通
採算性の高い井の頭線を足掛かりにしようとした
・用地買収などの問題があり、結局実現しなかった(免許は取っている)

→第2山手線の計画を進めるために井の頭線が開通し、結果的に下北沢は2駅がクロスする駅となり、町が発展した

今も若者を応援する町になっている
小田急線の路線跡は公園として整備(全長1・7キロの遊歩道)
遊歩道沿いには店舗が立ち並ぶ(2階は住居)
→ユニークなお店(日記を集めた本屋、発酵食品など)が集まる場所、チャレンジする若者を応援する場所となっている

【番外編】最後にタモリさんが住んでいた場所へ
タモリさんは2年ぐらい下北沢に住んだことがあるそうです。
32歳ぐらいの時だそうです。
その建物は今もあり、タモリさんは嬉しそうでした。
「私、ここで夢を見てました」
エンディングの写真で話していた「サンカツ酒店」の方との記念写真がありました。
やっぱり嬉しそうでした。

タモリさんの衣装
明るいオレンジ色のマフラー
黒いコート
ベージュのチノパン
濃紺の靴
黒い手袋
今日のランチランチの写真はありませんでした。

★★★★★★★★
タモリさんは最後になって下北沢に住んでいた話をしていました。
なんだかタモリさんらしいですね。
下北沢はタモリさんにとって思い出の場所だったんだな、本当にうれしそうなタモリさんを見ていて心が和みました。

ブラタモリ 毎週土曜夜7時半~ NHK総合

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