2023年7月8日(土)の「武将温泉~名将の影に名湯あり~」を見ました。
以下、一部ですがまとめと感想と少しネタバレです。
今回の番組、前半は以前放送した「武田信玄編」、その次は「豊臣秀吉編」、最後は以前放送した「徳川家康編」でした。
今回は豊臣秀吉が愛した有馬温泉編の感想です。
出演者:真飛聖さん(元タカラジェンヌ、女優)
東京大学教授 歴史学者 本郷和人さん
木村多江さん
真飛さんはタカラジェンヌ時代には有馬温泉に来ていたそうです。
でも豊臣秀吉と関係があったことは全く知らなかったと小声で話すところがかわいいですね。
有馬温泉で秀吉を感じる場所
・豊臣秀吉の像
・太閤橋 太閤橋には豊臣家の家紋「五七の桐」が刻まれている
・ねねの像 目線が秀吉の像に向かっている
豊臣秀吉の天下統一 温泉をどう利用した?
秀吉と有馬とのかかわり
・1581年2月 難攻不落といわれた三木城(兵庫県三木市)を2年がかりで落とす
・疲れをいやすため有馬温泉を訪れる
・その後11年間で9回も訪れるほど気にいった場所となった
有馬温泉発祥の地にある『金の湯』
泉質:塩化物泉
源泉の温度:約80度
色:茶褐色
効果:神経痛や冷え性、高血圧など幅広い効果がある
・茶褐色のお湯は「金泉」と呼ばれ、その色は鉄分を多く含むからなる色である
ぬる湯で42度とは結構熱いですね。
秀吉は有馬温泉を接待の場として利用した
本願寺第11代宗主顕如 戦国最大の宗教武装勢力 浄土真宗本願寺派のトップ
・織田信長と10年間死闘を繰り広げた
・本能寺の変翌年、本願寺顕如が妻とともに有馬温泉を訪れる
→秀吉は手厚くもてなした
織田信雄 織田信長の次男
・小牧・長久手の戦いで徳川家康と組み秀吉と戦う
・その翌年、信雄が有馬温泉で湯治をする
→秀吉は滞在費を援助した
敵対する人物を接待することで天下統一への地盤固めをした
天下三宗匠 織田信長が茶会の際に重用していた茶人
・今井宗久
・津田宗及
・千利休
→堺で絶大な力を持つ豪商でもあった
秀吉は3人を重用することで堺を支配しようとした
目をかけた武将
・石田三成 「五奉行」として豊臣政権を支える
・大谷吉継 秀吉の小姓で軍師として才能を発揮
・増田長盛 行政面で中心的な役割を担当
豊臣政権の中核を担う武将をもてなした
秀吉が亡くなったのは有馬温泉が理由?
極楽寺が阪神淡路大震災で倒壊した際に発見された湯山御殿
秀吉が自分のために作った温泉施設
・それまでは立ち湯だったのを座って入れる深さにした
・滝のように温泉を近くに落とすよう作られた
→しかし大地震が起こり利用することはなかった
慶長伏見大地震
1596年 近畿地方で発生、伏見城や東寺などが倒壊
・秀吉はすぐに有馬の復興事業を始め、湯山御殿を作るが完成した年に亡くなった
秀吉は赤痢か大腸がんで亡くなったとされるが、有馬温泉が利用できていたら免疫力が向上し、
病気を闘うことができたかもしれない
最後は秀吉も宿泊したとされる老舗旅館の向陽閣で真飛さんだけが温泉に入りました。
それはそうでしょうね。
月も日も いのち有馬の 湯にうつり やまひはなしの 花とちりけり (秀吉が詠んだ歌)
(命ながらえてやってきた有馬の地に 月も日も美しくなり その素晴らしさに病はすっかり治ってしまった)
★★★★★★★★
有馬温泉を接待の場に利用したというのは秀吉らしいエピソードですね。
場所も京都や大阪に近いので利用しやすかったのでしょう。
地震で有馬温泉が被害を受けていなかったら、歴史はまた違っていたのでしょうか。
最晩年のあたりだったから、どうでしょう。
ともあれ温泉と武将との関わりあいを知るのは興味深いことでした。
武将温泉 BSプレミアム
見逃した方はU-NEXTでどうぞ。今なら31日間無料体験。