武将温泉 武田信玄

武将温泉 武田信玄 テレビ

2023年5月1日(月)の武将温泉武田信玄編を見ました。
以下、まとめと感想と少しネタバレです。


この武将温泉、今年の1月の1度目の放送「徳川家康編」に続き2回目となります。
今回は山梨や長野に30もの隠し湯を作ったと伝わる武田信玄編です。
『信玄の隠し湯』とも呼ばれています。

武将温泉女将 木村多江
今回の旅人 筧利夫さん
      本郷和人さん(東京大学教授)

木村さんがナレーションを担当し、最初と最後にコメントで締めていました。

なぜ武田信玄は最強軍団を率いて戦い続けることができたのか?
53歳で亡くなるまでの間出陣した合戦80回(60勝3敗17分け)。
恵林寺えりんじ(山梨県甲州市)にある甲陽軍艦は信玄の人となりが分かる書物でもある。

甲陽軍艦 武田家の歴史や戦術を記した軍学書

信玄28歳の時上田原の戦いで傷を負い(初めての負け戦)、傷を癒したのが湯村温泉であると記載があった。
『三十日の間 甲州島の湯にて御平癒なり』(島の湯=湯村温泉)

湯村温泉  泉質:塩化物泉 源泉の温度:45度前後 色:無色透明

湯村温泉で湯治をし、そのわずか五か月後にまた出陣し勝利した。

湯村温泉でケガは癒えるのか
湯村温泉は塩を多く含む塩化物泉で、体が温まりやすく血行がよくなるので切り傷に効果がある。体内の免疫力が上がって傷が化膿するのを防いでくれる。
最悪の場合死に至るといわれる破傷風などの感染症を予防する効果もある。

戦場に医者はいなかった?
金創医(刀傷などを治療した外科医)はいたが数が少なく、多くの人が診察を受けることは実際には難しかったと考えられる。

信玄は温泉を国造りに利用した
現在の武田神社はかつて武田信玄の居城、躑躅ヶ崎館であった。
この城は平城だった理由として、信玄は人を大事にすることが大事だという考えを持ち、居城に深い堀や高い石垣を組まなかった。

『人は城 人は石垣 情けは味方 仇は敵なり』
(人を大事にすることで国の防御を高めよう)

第4次川中島の合戦の前、川浦(現在の川浦温泉)に温泉施設を作るよう命じる。第5次まで続く川中島の合戦のうち、一番の激戦となった第4次川中島の合戦で武田軍は4500人もの戦死者を出した。
山県昌景が川浦温泉の管理を任されていた。

山県昌景 武田四天王の一人 「赤備え」の大将

信玄の隠し湯と言われた岩風呂は山形昌景の子孫が守る温泉宿の施設から100メートルほど進んだ先にある。
この場所に温泉を作った理由として考えられるのが、周りが山に囲まれているので敵に攻められない安心感があり、湯量も多くたくさんの兵士が一度に使うこともできた。

川浦温泉 泉質:単純温泉 源泉の温度:43度 色:無色透明

人を大事にする信玄は領土を広げると温泉を整備し、兵士たちは温泉で体調を整え戦に向かうことができた。

戦の最前線にある隠し湯
川中島の近くにある松川渓谷温泉(長野県)は天然の地形を生かした雄大な露天風呂。

松川渓谷温泉 泉質:硫酸温泉 源泉の温度:43度 色:無色透明

★★★★★★★★★
最後に登場した松川渓谷温泉はすごいロケーションで筧さんも本郷さんも大興奮でした。人の手は多少は入っているとは思いますが、ほぼ天然の岩場を利用した温泉で、これは一度入ってみたいなと思いました。
信玄の息子である武田勝頼が長篠の戦のあとに整備させたのが現在の伊香保温泉ということで、武将と温泉の縁は想像以上に今の日本人にとって身近にあるのだなと思いました。

武将温泉 NHK総合

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コメント

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