2024年4月13日(土)の「新プロジェクトX」は
「弱小タッグが世界を変えた~カメラ付き携帯 反骨の逆転劇~」でした。
以下、まとめと感想と少しネタバレです。
J-SH04(2000年販売)開発秘話
東京デジタルホン(後のJ-フォン)とは?
・1991年東京市ヶ谷の雑居ビルで創業
・JRや鉄鋼会社が出資して作った会社
・100人あまりの社員は各社から出向で寄せ集められていた
東京デジタルホンの苦しい現実
・後発の会社のためつながりにくい電波帯しか残されていなかった
・市場は先行する大手2社に握られ、端末を作る会社もがっちり握られていた
・1994年携帯サービスを開始すると「つながらない」と電話対応に追われる
→端末を調達した「端末課」が矢面に立つことに
畑違いの分野からきた素人3人組
<元J-フォン端末課>
・北村敏和さん(トヨタ自動車→出向)
部署が解体されよくわからないまま出向
・高尾慶二さん(マツダ→出向)
携帯電話は面白いと密かな期待を抱く
・太田洋さん(日本物理探こう→新日本製鐵→出向)
工事現場の地盤調査をしていた
クレーム対応で営業と一緒にユーザーの家まで菓子折りをもってお詫びに行く
メーカーと共同開発の話をしても応じてもらえず、型落ち品を薦められる
→深夜のゲームセンターで格闘ゲームで憂さをはらす日々
瀬戸際のシャープの携帯電話事業
<元シャープパーソナル通信事業部>
・大手メーカーで唯一携帯電話事業に本格参入できずにいた
・わずかに納品していた大手との契約も切れ、開発予算をねん出できなかった
・高い液晶の技術を生かし切れていない
・部を守るには独自開発しかないとJ-フォンの誘いに賭ける
『背水の陣ですよね、2つも3つも開発するだけの予算もなければ
リソースもないんで
我々もう最後発ですから 失うものも何もないみたいな状態』
山下晃司さん(元シャープパーソナル通信事業部課長)
→目指したのはポケベルより長いメールを送れる携帯電話
2社でタッグを組むも試練が襲う
1997年J-フォンとシャープの共同開発が始まる
・翌年メールを送れる携帯電話を発売(J-SH01)
→基盤から部品が外れるトラブルが発生
・1998年NTTドコモがi-モードを発売
携帯電話からインターネットに接続しニュースやエンタメ情報を楽しむことができた
半年で100万人がユーザーに新規加入
→J-フォンには解約が相次いだ
『やられたなっていう感じですね』(元J-フォン太田さん)
・上層部からは似た端末を作るように指示があった
『でも違う。何かが違う。』(元J-フォン高尾さん)
箱根旅行先で見た景色
・元J-フォンの高尾さんは両親を箱根旅行に連れていく
・ロープーウェイに乗っていると電子音が聞こえた
・ビデオを向けると携帯電話で何かを打ち込もうとしている女性の姿
→携帯電話に必要なのはカメラだと思った
退路を断ってカメラ付き携帯電話を開発
・会社で商品を提案するも猛反対される
→すでに他社が行っていたが(TUKa)、サイズが大きくなり売れていなかった
『必ず小さくしてみせます』(元J-フォン高尾さん)
マツダへ退職願いを出し退路を断った
写真を送るには携帯よりも太い通話回線が必要なため総力戦で回線の整備にあたる
シャープが白羽の矢を当てた人物とは
<宮内裕正さん>
・高校卒業後広島工場に入社
・事務職だったが独学しながら技術職に希望を出し続けた
・15年後技術職へ異動
・昼休みに廃材を拾って実験し「変わり者」と言われた
・独創性があった
『最後発から全部抜いて1位になったら 面白くないですか?
人がやったことないことをやりたいんです。』(シャープ 宮内さん)
執念のカメラ付き携帯電話開発
・直径1センチの超小型カメラを携帯電話の中に入れる
・フレキシブル基盤(自在に折れ曲がり軽い)の両面に基盤を配置、
折り紙のように折りたたんで入れるアイデア
・2か月で試作品が完成した
→カメラを起動すると通信が途絶えてしまうなど50以上の不具合が報告
・その半年後不具合の正体に思い当たる
→高密度に並べた部品から出る電磁波が干渉している
→部品の位置を修正
・生産開始前日に完成
カメラ付き携帯電話の大ヒット
重さ74g、11万画素のカメラを備えた携帯電話
・2000年11月1日発売
・1年で300万台の売り上げ
・他社も同様の携帯電話を販売した
→業界第2位に躍進した(2002年)
→シャープ携帯事業部は高収益の部署に躍進した
『助けられましたよね本当に 宮内にいろんな意味で
感謝以外のなにものでもないですよね』(元シャープ山下さん)
『やったね、はい次行くぞ宮内君ってこんな感じです』(シャープ宮内さん)
その後のJ-フォンと高尾さん
・2001年イギリスのヴォーダフォンに日本テレコム(J-フォンの親会社)は
買収される
・新たな製品開発は差し止めに
・高尾さんは起業に踏み切る(日本酒造りに挑んでいる)
その後のシャープと宮内さん
・台湾の鴻海の傘下に入る
・携帯電話事業は逆風の中でも収益を上げ会社を支えた
・宮内さんはエンジニアの道を貫き最新のスマートフォンまで開発を続けた
・42年間の会社人生の最終日には100人を超える部下が集まった
『好きに生きました。好きにやらせてもらいました。
好きに生きれるように努力してきました。』 (シャープ 宮内さん)
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どんな技術も最後は人なんだなと思いました。
どこまでそう思うことができるかが大事なんだなと思いました。
夢中で仕事ができるって本当に人生の中でどれだけあるだろうって思いますよね。
新プロジェクトX 毎週土曜夜7時半~ NHK総合
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