2022年4月27日(木)の「英雄たちの選択」は「円はこうして生まれた!大隈重信通貨改革の七転八倒」でした。
以下、感想とネタバレです。
今回は江戸時代から明治時代という時代の転換期にどのように通貨が移り変わっていったのかがテーマでした。
大隈重信といえば明治時代の大物政治家というイメージですが、今回はまだ若かりし日の出来事で、財政責任者として貨幣をどうしていくかに対峙した姿を追ったものでした。
写真が若かりし日なので、正直誰だか分かりませんでした。
江戸時代から明治時代に変わったときに、新政府は幕府から通貨を作っている場所で新しい「太政官札」という紙幣を発行しました。
単位は江戸時代に使っていた通貨単位である、両、分、朱でした。
しかし紙幣という国民にとって慣れないものであったり、新政府の信用などの問題もあり値崩れを起こしてしまいます。
税金や諸上納を太政官札で支払うことを命じたり、その他の策が講じて信用を取り戻しますが、今度は太政官札の偽札が出回ります。
そこで今度は明治通宝という紙幣を発行することになりました。
この紙幣はドイツの西洋式印刷で作られた紙幣で、とても精巧な印刷の紙幣でした。
この明治通宝と太政官札を交換することで明治通宝が広く流通することになりました。
明治通宝の時に単位が園(円)となって、現在の紙幣の単位が初めて登場することになりました。
一方で大隈重信は大きな決断を迫られていました。
海外との貿易をするのに金本位制か銀本位制かを選択する必要がありました。
江戸時代には様々な硬貨が使われており、金貨、銀貨、銭貨という三貨制度が存在していました。
実際には東日本では金貨、西日本では銀貨が広く流通していたそうです。
オリエンタル・バンクからは銀本位制を薦められていて、実は銀本位制に動きつつあったそうです。
そんな時、アメリカに留学中の伊藤博文からイギリスやカナダ、その他のヨーロッパの各国は金本位制であり、日本も金本位制を選択したほうがいいと手紙が届きました。
大隈重信は金本位制を選択しますが、実際にはアジア圏との貿易決済は銀本位制だったこともあり、銀も作って決済に使っています。
要は両方存在したということですね。
金と銀には限りがあったということで、貿易には金銀を使い、国内向けとして紙幣を使うことにしました。
この新制度はうまくいったようだったのですが、そこに1877年の西南戦争が事態を一変させます。
莫大な戦費を賄うために紙幣を大量に発行したためにインフレが起こってしまいます。
大隈重信はこれに有効な対策を講じることなくインフレを容認する形になりました。
その後大隈重信は明治14年政変(1881年)により失脚することになります。
その後1885年に日本銀行が発行した日本銀行券(日本銀行兌換銀券)が登場して明治通宝はその役割を終えることになりました。
こう考えると明治初期というのはすごい激動の時代だったことがよく分かります。
日本銀行が明治最初からできていたわけではないことが驚きでした。
大隈重信は政変で一旦は去りますが、すぐに表舞台に登場しています。
磯田道史さんとコンビを組むのは中山果奈アナウンサーなのですが、HPでは杉浦友紀アナウンサーのままなんですね、これは中山アナはピンチヒッターということなんでしょうか。
でもここ数回は中山アナですよね。
ちょっとどういうことなのか知りたいですね。
また今回はゲストの中に山口真由さんがいたので、いつも以上に楽しくみることができました。
山口さんの解説は非常に明瞭で、聞いているとすぐわかった気になってしまいます。
で、しばらくすると忘れちゃうんですけどね。
やっぱり今回もそうでした。
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