2023年9月2日(土)の「ブラタモリ」は
「長岡~“花火の町”は不死鳥の町!?~」でした。
以下、まとめと感想と少しネタバレです。
長岡といえば「日本三大花火大会」と呼ばれる花火が有名で
タモリさんも花火に関するイベントで訪れたことがあるそうです。
今日のタモテバコ:“花火の町”は不死鳥の町!?
今回は長岡の花火をPRするご当地ヒーローガーディアンナイト、
ハナビスタとレディーが持ってきてくれました!
その後もタモリさんとトークを繰り広げます。
ハナビスタ、いい声です。
今回の案内人
・長岡市歴史文書館 館長 田中洋史さん
・長岡市立科学博物館 学芸員(地学担当) 加藤正明さん
・地質学者 高橋雅紀さん
今回のルート
①長岡駅
➁信濃川河川敷
➂長岡市中心部(柿川沿い)
④長岡市中心部(柿川沿いで移動)
⑤東山
⑥平潟神社
どうやって栄えたか:信濃川を利用した舟運
・江戸時代、舟による物流が盛んだった(舟運の町)
・信濃川から町中を流れる支流(また信濃川に戻る)があり、
そこに河渡(川に作られた舟の発着場・荷揚げ場)があったことで長岡は栄えた
長岡を襲った苦難①戊辰戦争で町が焼け野原に
旧幕府軍についた長岡藩は戊辰戦争で新政府軍に敗北、町は焼けてしまった
どうやって復興したか:天皇北陸巡幸(明治11年)
・明治天皇はじめ岩倉具視、大隈重信など明治新政府のメンバーが訪れた
・天皇の巡幸に向けて町や道路を整備
・翌年に花火大会が始まる
→スポンサーは花街だった
長岡を襲った苦難➁物流の主力が舟から鉄道へ
・明治時代に入り、鉄道が登場すると長岡経済の原動力であった舟運は衰退した
どうやって復興したか:石油
・長岡の丘陵で原油が取れる
・長岡の実業家たちが次々採掘を行った→一大産業となる
・石油会社は花火大会のスポンサーに名を連ねる
信濃川と石油の深い関係
この辺りの地形はプレートの力で地形が波立つように隆起している
1500万年前 新潟は深い海の底
↓
当時の日本海にはたくさんのプランクトンが生まれた
↓
プランクトンの死骸はバクテリアと地下熱の働きで石油に変化
↓
丘陵には水を通しにくい地層がある
↓
地下深くでできた石油は水よりも軽いので上昇していく
↓
水を通しにくい地層の下の波立った部分に石油が自然と集まった
信濃川と石油、ともにプレートの力が生んだ恵みだった
石油は大正時代には枯渇するも、石油の関連産業として発展した
鉄工業、機械産業が経済を支えた
長岡を襲った苦難➂長岡空襲(1945年8月1日)
・約1500人が亡くなる
長岡を襲った苦難④新潟県地震(2004年)
・マグニチュード6.8
花火に込めた思い
・白一色の花火
戦地から帰った花火師が戦友の鎮魂のために上げた<平和を祈る象徴>
空襲が始まった8月1日夜10時半に毎年打ち上げられている
コロナ禍で花火大会が中止でも欠かさず打ち上げられた
・フェニックス(不死鳥)
中越地震からの復興を願い地震の翌年初めて打ち上げられた
タモリさんの衣装
・ベージュのジャケット
・白地に黒の柄のシャツ
・ブルーのパンツ
・黒いベルト
・黒のスニーカー
タモリさんのランチ:そばです。天ぷらのお皿もありました。
へぎそばかもしれません。
★★★★★★★★★★★★
今回の長岡はタモリさんも言っていましたが、
いい時代があるなーと思うと苦難が襲い、それが何度もあって、
本当に苦労が多かったんだなと思います。
長岡の花火はそんな苦難があっても頑張ろうという
人々の心意気なんだなと思いました。
しかし長岡でかつて石油が取れたとは、知りませんでした。
ブラタモリ 毎週土曜夜7時半~ NHK総合
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